よ。だがね、おぢさん、此處《こゝ》はあんたばかりの世界《せかい》ぢやありませんよ」
「それはさうだ」
「そんなら、そんなに、がみがみゆはないつたつていいでせう。そうじやないですか」
 牛《うし》はだまりこみました。虻《あぶ》はあいかわらず。そして酷《ひど》く相手《あひて》の腹《はら》をたてました。
 も一ど、それでも牛《うし》は
「お願《ねが》ひだから、靜《しづか》にしてゐてくんな」と頼《たの》みました。靜《しづ》かになつたやうでした。すると、こんどは虻《あぶ》の奴《やつ》、銀《ぎん》の手槍《てやり》でちくりちくりと處《ところ》嫌《きら》はず、肥太《こえふと》つた牛《うし》の體《からだ》を刺《さ》しはじめました。
 堪忍嚢《かんにんぶくろ》の緒《を》は切《き》れました。それでも強《つよ》い角《つの》をつかうほどでもありません。
 ぴゆツと一とふり尻尾《しつぽ》をふると、びちやりと大《おほ》きな腹《はら》の上《うへ》で、めちやめちやに潰《つぶ》れて死《し》んでしまひました。
 虻《あぶ》は生《うま》れてまだ幾日《いくにち》にもなりませんでした。
 そしてこれがその短《みぢか》い一|生《しやう》でした。


 泥棒

 泥棒《どろぼう》が監獄《かんごく》をやぶつて逃《に》げました。月《つき》の光《ひかり》をたよりにして、山《やま》の山《やま》の山奥《やまおく》の、やつと深《ふか》い谿間《たにま》にかくれました。普通《なみ》、大抵《たいてい》の骨折《ほねを》りではありませんでした。そこで綿《わた》のやうに疲勞《つか》れて眠《ねむ》りにつきました。草《くさ》を敷《し》き、石《いし》を枕《まくら》にして、そしてぐつすりと。
 朝《あさ》。
 神樣《かみさま》がそれを御覧《ごらん》になりました。これは、なんといふ瘻《やつ》れた寢顏《ねがほ》だらう。
「おお、わが子《こ》よ」と仰《おほ》せられて、人間《にんげん》どもの知《し》らない聖《きよ》い尊《たつと》いなみだをほろりと落《おと》されました。
 それをみてゐた朝起《あさお》きのひたき[#「ひたき」に傍点]も、おもはず貰《もら》ひ泣《な》きをいたしました。

[#底本には、本文から離れた位置に「もつて。」と誤植]


 星の國

 山《やま》の中《なか》に古池《ふるいけ》がありました。そこに蛙《かへる》の一|族《ぞく》が何不自由《なにふじいう》なく暮《く》らして、住《す》んでをりました。
 あるとき木菟《みゝずく》が水《みづ》をのみにきて、その蛙《かへる》の一ぴきに逢《あ》ひました。
「やあ、しばらくだね、蛙君《かへるくん》」
「木菟《みゝづく》さんか、何處《どこ》へ行《い》つてゐたんです」
「あんまり一つ所《どころ》も飽《あ》きたんで、あれから方々《はう/″\》、飛《と》び廻《まは》つてきたよ」
「へえ」
「何《なに》かおもしろい話《はなし》でもないかい」
「それは俺《わし》の方《ほう》からいふ言葉《ことば》でさあ。こうして此處《こゝ》で生《うま》れて此處《こゝ》でまた死《し》ぬ俺等《わしら》です。一つ旅《たび》の土産《みやげ》はなしでもきかせてくれませんか」
「とりわけてこれと云《い》ふ……何處《どこ》もみんな同《おんな》じですがね。……だが、あの星《ほし》の國《くに》へあそびに行《い》つて、宵《よひ》のうつくしい明星樣《めうじやうさま》にもてなされたのだけは、おらが一|生《しやう》一|代《だい》の光榮《くわうえい》さ」
 と、蛙《かへる》がそれを遮《さへぎ》つて
「俺《わし》がいくら世間見《せけんみ》ずだと言《い》つて、出鱈目《でたらめ》はごめんですよ」
「何《なに》が出鱈目《でたらめ》だい」
「何《なに》がつて、あんたにや水潜《みづもぐ》りはできめえ。星《ほし》の國《くに》はね。此《こ》の池《いけ》の水底《みづそこ》にあるんですぜ」
「え」
「それでも嘘《うそ》でねえと云《い》ふんですか」
 すると木菟《みゝづく》が
「蛙君《かへるくん》、きみはまあ何《なに》をゆつてるんだ。星《ほし》の國《くに》は、こうした樹《き》の上《うへ》の、そのもつと高《たか》いたかあいところにある天空《そら》なんだよ」
「そんなら二つあるのかね」
「二つなもんか、その天空《そら》にあるツきりさ」
「そんなことがあつてたまるもんか」
「馬鹿《ばか》だなあ」
「どつちが」
 どつちもその所信《しよしん》を棄《す》てません。そのうちに、とつぷりと日《ひ》がくれて、月《つき》がでました。星《ほし》もでました。
 蛙《かえる》が口惜《くや》しがつて
「あれ、あれが何《なに》よりの證據《しやうこ》じやないか、みたまへ。水《みづ》の底《そこ》を……」
 木菟《みゝづく》が
「なるほどな。けれど上《うへ》をごらん、あれは
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