いろど》つた眞夏《まなつ》のその壯麗《そうれい》なる夕照《ゆうせふ》に對《たい》してこころゆくまで、銀鈴《ぎんれい》の聲《こゑ》を振《ふ》りしぼつて唄《うた》ひつづけた獨唱《ソロ》の名手《めいしゅ》、天《そら》飛《と》ぶ鳥《とり》も翼《はね》をとどめてその耳《みゝ》を傾《かたむ》けた、ああ、これがかの夕日《ゆうひ》の森《もり》に名高《なだか》く、齢《とし》若《わか》き閨秀《をんな》樂師《がくし》のなれの果《はて》であらうとは!
母娘《おやこ》は顏《かほ》をみあはせましたが、寂《さび》しさうにその何方《どちら》からも何《なん》とも言《ゆ》はず、そして※[#「※」は「虫へん+車」、34−4]《かな/\》のうしろ姿《すがた》がすつかり見《み》えなくなると、またせつせと側目《わきめ》もふらずに織《を》り出《だ》しました。
「ギーイコ、バツタリ」
「ギツチヨン。ギツチヨン」[#「ギツチヨン」」は底本では「ギツチチン」」と誤記]
鸚鵡
あるところに手《て》くせ[#「くせ」に傍点]の惡《わる》い夫婦《ふうふ》がありました。それでも子《こ》どもがないので、一|羽《は》の鸚鵡《あふむ》を子《こ》どものやうに可愛《かあい》がつてをりました。
鸚鵡《あふむ》が人間《にんげん》の口眞擬《くちまね》をするのは、どなたもよくしつてをります。
誰《だれ》か
「お早《はや》う」といへば、鳥《とり》もまた
「おはやう」と言《い》ひます。
それから夜《よる》になつて灯《あかり》が點《つ》いて「おやすみなさい」ときくと、おなじやうに
「おやすみなさい」と喋舌《しゃべ》ります。
ほんとに鸚鵡《あふむ》は愛嬌者《あいきやうもの》です。
そこの家《いへ》にお客樣《きやくさま》がきました。すると鸚鵡《あふむ》が
「あんたは白瓜《しろうり》一|本《ぽん》、それつきり」といひました。お客樣《きやくさま》が
「え」と聽《き》きかへすと
「妾《わたし》はそれでも反物《たんもの》三|反《だん》」
何《なに》が何《なん》だかさつぱり解《わか》りません。そこへお茶《ちや》を持《も》つてでてきたお上《かみ》さんにそのことを話《はな》すと
「ええ、昨晩《ゆうべ》、盗賊《どろぼう》にとられた物《もの》のことを言《ゆ》つてるのでせう」
お客樣《きやくさま》がかへると
「お前《まえ》は、何《なん》て馬鹿《ばか
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