前に円窓《まるまど》があって、それに簾《すだれ》が懸《かか》っている、蹲踞《しゃが》んでいながら寝《ね》むいので何を考えるでもなく、うとうととしていると何だか急にゾーッと悪寒《さむけ》を覚えたので思わず窓の簾越《すだれごし》に庭の方を見るとハット吃驚《びっくり》した、外の椽側《えんがわ》に置いた手燭《てしょく》の燈《ひ》が暗い庭を斜《ななめ》に照らしているその木犀《もくせい》の樹の傍《そば》に洗晒《あらいざら》しの浴衣《ゆかた》を着た一人の老婆が立っていたのだ、顔色は真蒼《まっさお》で頬は瘠《こ》け、眼は窪み、白髪交《しらがまじ》りの髪は乱れているまで判然《はっきり》見える、だがその男にはついぞ見覚えがなかった、浴衣《ゆかた》の模様もよく見えたが、その時は不思議にも口はきけず、そこそこに出て手も洗わずに母家《おもや》の方へ来て寝た、しかし床《とこ》へ入っても中々《なかなか》寝られないが彼はそれまでこんな事はあんまり信じなかったので、或《あるい》は近所の瘋癲老婆《きちがいばばあ》が裏木戸からでも庭へ入って来ていたのではないかと思ってそれなりに寝てしまった。翌朝になると早速《さっそく》裏木戸や所々《ところどころ》と人の入った様な形跡《あと》を尋ねてみたが、何《いず》れも皆固く閉《とざ》されていたのでその迹方《あとかた》もない、彼自ら実は少し薄気味悪くなり出したが、女子供に云うべき事でもないので家人へは一言《いちごん》も云わずにいた。その後《のち》幸《さいわ》い一《ひ》と月《つき》ばかりは何の変事も起《おこ》らなかった、がさすがにその当座は夜分便所に行く事だけは出来なかった、そのうち時日《じじつ》も経《た》ったし職務上|種々《しゅじゅ》な事があったので、彼はいつしかそんな事も忘れていた、が、またそれは十月の初旬《はじめ》の頃であった、もう秋の風が肌に寒い頃だったがふと或《ある》晩、彼は矢張《やはり》一時頃に便所へ行きたくなったので手燭《てしょく》をつけて行った、しかしその時は一切《いっさい》以前の出来事は忘れていた。同様《おなじよう》に手燭《てしょく》を外に置いて内へ入って蹲踞《しゃが》んでいながら、思わず前の円窓《まるまど》を見て、フト一ヶ月ばかり前に見た怪しき老婆を思出《おもいだ》した、さあ気味が悪くなって堪《たま》らないが、うんと度胸を据えて今夜はもし出たら一つよく
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