言《いわ》れ、右の趣を石出帯刀《いしでたてわき》まで申し出で、聞済《ききず》みになりて草鞋《わらじ》を下げ渡されたが、その翌日亭主は斬罪に行なわれ、女房は重追放で落着《らくちゃく》したそうだ、最も牢内には却々《なかなか》お化種《ばけだね》は、豊富であると、牢の役人から聞《きい》た事を思い出した。

◎大阪《おおさか》俳優|中村福円《なかむらふくえん》の以前《もと》の住居《すまい》は、鰻谷《うなぎだに》の東《ひがし》の町《ちょう》であったが、弟子の琴之助《ことのすけ》が肺病に罹《かか》り余程の重態なれど、頼母《たのも》しい親族も無く難義《なんぎ》すると聞き自宅へ引取《ひきとり》やりしが、福円の妻女は至って優しい慈悲深き質《たち》ゆえ親も及ばぬほど看病に心を竭《つく》し、後《の》ち桃山《ももやま》の病院にまで入《いれ》て、世話をしてやった、すると或《ある》夜琴之助が帰り来《きた》り、最《も》う全治《なおり》ましたからお礼に来ましたと、云《いっ》たがその時は別に奇《あや》しいとも思わず、それは結構だ早く二階へ上ってお寝《ね》と云《いわ》れ当人が二階へ上って行く後姿《うしろすがた》を認めた頃、ドンドンと門を叩く者がある、下女を起《おこ》して聞《きか》せるとこれは病院の使《つかい》で、当家《こちら》のお弟子さんが危篤ゆえ知《しら》せると云《いわ》れ、妻女は偖《さて》はそれ故《ゆえ》姿を現《あらわ》したかと一層《いっそう》不便《ふびん》に思い、その使《つかい》と倶《とも》に病院へ車を飛《とば》したが最《も》う間に合《あわ》ず、彼は死んで横倒《よこたわ》っていたのである、妻女は愈々《いよいよ》哀れに思い死骸を引取《ひきと》り、厚く埋葬を為《し》てやったが、丁度《ちょうど》三七日の逮夜《たいや》に何か拵《こしら》えて、近所へ配ろうとその用意をしているところへ、東洋鮨《とうようずし》から鮨の折詰《おりづめ》を沢山|持来《もちきた》りしに不審晴れず、奈何《いか》なる事情《わけ》と訊問《たずね》しに、昨夜|廿一二《にじゅういちに》のこうこう云う当家《こなた》のお弟子が見えて、翌日《あす》仏事があるから十五軒前|折詰《おりづめ》にして、持《もっ》て来てくれと誂《あつら》えられましたと話され、家内中顔を見合せて驚き、それは幽霊が往《いっ》たのだろうとも云《いわ》れず、右の鮨を残らず引受《ひきう》け、近所へ配って回向《えこう》をしてやったそうだが、配る家が一軒も過不足なく、その数通りであったと云うは一寸《ちょっと》変っている怪談であろう。

◎紀州高野山《きしゅうこうやさん》の道中で、椎出《しいで》から神谷《かみや》の中間に、餓鬼坂《がきざか》と云うがある、霊山を前に迎えて風光明媚《ふうこうめいび》な処《ところ》に、こんな忌々《いまいま》しい名の坂のあるのは、誰でも変に感じられるが四五年以前|或《ある》僧が此処《ここ》で腹を減《へら》し前へも出られず、後へも戻れず、立《たち》すくみになって、非常に弱《よわっ》ていると、参詣の老人がそれを認めて、必然《きっと》餓鬼《がき》が着《き》たのだ何か食うと直《す》ぐ治ると云って、持《もっ》ている饅頭《まんじゅう》を呉《く》れた、僧は悦《よろこ》んで一ツ食《くっ》たが、奈何《いか》にも不思議、気分が平常に復してサッサッと歩いて無事に登山が出来たと話した事があった、此処《ここ》は妙な処《ところ》で馬でも何でも腹が減ると、立《たち》すくみになると云い伝え、毎日何百|疋《ぴき》とも知れず、荷を付けて上り下りをする馬士《まご》まで、まさかの用心に握り飯を携帯《もた》ぬ者は無いとの事だ、考《かん》がえてみると何だか怪しく思われぬでも無い。

◎京都《きょうと》の画工某の家《いえ》は、清水《きよみず》から高台寺《こうだいじ》へ行《ゆ》く間だが、この家の召仕《めしつかい》の僕《ぼく》が不埒《ふらち》を働き、主人の妻と幼児とを絞殺《こうさつ》し、火を放ってその家を焼《やい》た事があるそうだ、ところで犯人も到底《とうてい》知《しれ》ずにはいまいと考え、ほとぼりのさめた頃京都市を脱出《ぬけだ》して、大津《おおつ》まで来た時何か変な事があったが、それを耐《こら》えて土山宿《つちやまじゅく》まで漸《ようや》く落延《おちの》び、同所の大野家《おおのや》と云う旅宿屋《やどや》へ泊ると、下女が三人前の膳を持出《もちだ》し、二人分をやや上座《かみくら》へ据《す》え、残りの膳をその男の前へ直《なお》した、男も不思議に思い、一人の客に三人前の膳を出すのは如何《どう》いう訳だと聞くと、下女は訝《いぶかし》げに三人のお客様ゆえ、三膳出しましたと云《いっ》て、却《かえ》ってこの男を怪《あやし》んだ、爰《ここ》に於《おい》てこの男は主人の妻子が付纏《つきまと》
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