《もたげ》ると、坐敷の隅《すみ》に何か居るようだ、ハテなと思い眼をすえて熟視《よくみ》ると、三十くらいで細面《ほそおもて》の痩《やせ》た年増が、赤児に乳房をふくませ、悄然《しょうぜん》として、乳を呑《のま》せていたのである、この客|平常《つね》は威張屋《いばりや》だが余程臆病だと見え、叫喚《あっ》と云って慄《ふる》え出し、飲《のん》だ酒も一時に醒《さめ》て、最《も》う最《も》うこんな家《うち》には片時も居られないと、襖《ふすま》を蹴《け》ひらき倉皇《そうこう》表へ飛出《とびだ》してしまい芸妓《げいぎ》も客の叫喚《さけび》に驚いて目を覚《さま》し、幽霊と聞《きい》たので青くなり、これまた慌てて帰ったとの事だが、この噂が溌《ぱっ》と立《たっ》て、客人の足が絶え営業の継続が出来ず、遂々《とうとう》この家《いえ》も営業《しょうばい》を廃《やめ》て、何処《どこ》へか転宅《てんたく》してしまったそうだ、それに付き或る者の話を聞くに、この家は以前《もと》土蔵を毀《こわ》した跡へ建《たて》たのだが、土蔵の在《あっ》た頃当時の住居人《すまいにん》某《それ》の女房《にょうぼ》が、良人《おっと》に非常なる逆待《ぎゃくたい》を受け、嬰児《こども》を抱いたまま棟木《むなぎ》に首を吊《つっ》て、非命の最期を遂げた、その恨みが残ったと見えて、それから変事が続きて住《すま》いきれず、売物に出したのを或《ある》者が買《かい》うけ、その土蔵を取払《とりはら》って家を建直《たてなお》したのだが、未《いま》だに時々不思議な事があるので、何代|替《かわ》っても長く住む者が無いとの事である。

◎山城《やましろ》の相楽郡木津《さがらぐんきづ》辺の或る寺に某と云う納所《なっしょ》があった、身分柄を思わぬ殺生好《せっしょうずき》で、師の坊の誡《いまし》めを物ともせず、例《いつ》も大雨の後には寺の裏手の小溝へ出掛け、待網を掛けて雑魚《ざこ》を捕り窃《ひそ》かに寺へ持帰《もちかえ》って賞玩《しょうがん》するのだ、この事|檀家《だんか》の告発に依《よ》り師の坊も捨置《すておき》がたく、十分に訓誡《くんかい》して放逐《ほうちく》しようと思っていると、当人の方でも予《あらかじ》めその辺《あたり》の消息を知り、放逐《ほうちく》されると覚悟をすれば、何も畏《おそ》れる事は無いと度胸を極《き》め、或《ある》夜師の坊の寝息を考え、
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