に遊んでその古《いにし》えを忍《しの》ぶとき、今も猶《な》お悵恨《ちょうこん》の腸《はらわた》を傷めずにはいられぬものあるが、この附近には古画《ふるえ》や古本や文房具の類を商《あき》なっている店が軒を並べて一廓《いっかく》を成《な》している町がある。つまりセインス街《まち》に通ずるブルバーセンゼルマンという道路で、私《わし》は六十六番の肉屋の二階にいたが、この店の目的とする下宿屋の番号さてそれはよく解らない。しかし同じ町内であるが、つまり思出《おもいで》の一つであるのだが、その下宿に宿を取っていた或る学生、慥《たし》か或る法学生があって、この法学生の目に見えた妄念の影があるのだ。真夜《しんや》だという。一体《いったい》あちらの人は、夜寝床に就《つ》く前になると、一般に蝋燭《ろうそく》を燭《とも》す習《なら》わしであるのだが、当時《そのとき》恰度《ちょうど》その部屋の中に、或る血だらけの顔の人が、煙の如く影の如く何《ど》うしても見えるというのだ。それから取調《とりしら》べてみるとその下宿屋の前身というのが、もとは尼寺であったので、巴里《パリー》の市中に革命の行われた時は、何でも病院に当てられていたこともあった。だからつまりその妄念の霊が姿を見せるのだろうと、凡《すべ》てこのだろうの上に成立する話であるが、まアざッとそういうような話で、その刻限は恰《あだ》かもその向うに見ゆる学士会院の屋上に聳《そび》えている時計台の時計が二時を報ずる所謂《いわゆる》丑満刻《うしみつこく》で、こういうことは東西その軌《き》を一《いつ》にするのかも知れぬが、私《わし》も六十六番の二階で、よくその時計の鳴音《なるおと》を聴いたのが今も耳の底に残っている。東洋趣味のボー……ンと鳴り渡るというような鐘の声とは違って、また格別な、あのカン……と響く疳《かん》の音色《ねいろ》を聴くと、慄然《ぞっ》と身慄《みぶるい》せずにいられなかった。つまり押しくるめていえば学士会院の二時の鐘と血だらけの顔、そしてその裏面《りめん》に潜む革命の呻吟《うめき》、これがこの話の大体である。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四年十二月号」
1911(明治44)年12月
初出:「新小説 明治四十四
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