怪めいた話が出ている。それがしかも頗《すこぶ》る熱心に真面目に説いてある。一言《いちげん》にして尽《つ》くせば、自分の昵近《じっこん》な人の間に何か不吉なことがあると、それが必らず前兆になって現われる。いかなる前兆となって現われるかというに叩く音!
どんな風に叩く音かといえばコツコツと叩く音だ。ハークマのお母さんの死んだ時もそうであったと叙《の》べている。この人には二どめの妻君《さいくん》があって、この妻君《さいくん》も死ぬことになるが、その死ぬ少し前に、ハークマは慥《たし》か倫敦《ロンドン》へ行っていて、そして其処《そこ》から帰《か》える。一体《いったい》この人の平素《ふだん》住んでいるのは有名なブッシュというところで、此処《ここ》には美術学校もあるし、この土地はこの人に依《よ》って現われたので、ハークマのブッシュかブッシュのハークマかと謳《うた》われていたくらい、つまりこの怪談の場所は此処《ここ》になるのだが、その倫敦《ロンドン》から帰ってきた時は、恰《あだ》かもその妻は死に瀕《ひん》していた時で、恰度《ちょうど》妹がいて妻の病を看《み》ていた。その時部屋の窓の外に当《あた》って、この時の音は少し消魂敷《けたたまし》い。バン……と鳴って響いた。即《すなわ》ち妻が死んだのであった。兎《と》に角《かく》何か不吉なことがあると、必らずこの音を聞いたと、この自伝の中に書いてあるが、これが爰《ここ》に所謂《いわゆる》『不吉な音』の大略《たいりゃく》であるのだ。
それから他《た》の一つの『学士会院《ラシステキュー》の鐘』と題した方は、再聞《またぎき》の再聞《またぎき》と言って然《しか》るべきであるが、これは私《わし》に取って思出《おもいで》の怪談としてお話したい。怪談も真面目に紹介される日本の社会であることを知っておくと、西洋諸国の各地に徘徊する幽霊の絵姿など、それを齎《もた》らすのは何でも無かったが、その方は生憎《あいにく》今|遺憾《いかん》だ。
この話の場所は仏蘭西《フランス》の巴里《パリー》で、この巴里《パリー》には人皆知る如く幾多の革命運動が行われた。つまりこの革命運動の妄念が、巴里《パリー》の市中に残っているというその一例に属する話である。巴里《パリー》に於ける官立美術学校の附近に或る下宿屋がなる。一体《いったい》の出来《でき》が面白い都会で、巴里《パリー》
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