夜釣の怪
池田輝方
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)祖父《じじい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)五六|間《けん》
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私の祖父《じじい》は釣《つり》が所好《すき》でして、よく、王子《おうじ》の扇屋の主人や、千住《せんじゅ》の女郎屋の主人なぞと一緒に釣《つり》に行きました。
これもその女郎屋の主人と、夜釣に行った時の事で御座《ござ》います。
川がありまして、土堤《どて》が二三ヶ所、処々《ところどころ》崩れているんだそうで御座《ござ》います。
其処《そこ》へこう陣取りまして、五六|間《けん》離れた処《ところ》に、その女郎屋の主人が居る。矢張《やは》り同じように釣棹《つりざお》を沢山やって、角行燈《かくあんどう》をつけてたそうです。
祖父《じじい》が釣《つり》をしていると、川の音がガバガバとしたんです。
それから、何だろうかと思っていると、旋《やが》てその女郎屋の主人が、釣棹《つりざお》を悉皆《すっかり》纏《まと》めて、祖父《じじい》の背後《うしろ》へやって来たそうです。それで、「もう早く帰ろう。」というんだそうです。
「今|漸《ようや》く釣れて来たものを、これから? 帰るのは惜しいじゃないか。」と言ったが、何でも帰ろうというものですから、自分も一緒に帰って来たそうです。
途中で、「何《ど》うしたんだ。」と言ったが、何《ど》うしても話さなかったそうです。その内千住の通りへ出ました。千住の通りへ出て来てから、急に明るくなったものですから、始めてその主人が話したそうです。
つまり「釣《つり》をしていると、水底《みずぞこ》から、ずっと深く、朧《おぼ》ろに三尺ほどの大きさで、顔が見えて、馬のような顔でもあり、女のような顔でもあった。」と云うのです。
それから、気味が悪いなと思いながら、依然《やっぱり》釣《つり》をしていると、それが、一度消えてなくなってしまって、今度は判然《はっきり》と水の上へ現われたそうです。
それが、その妙な口を開いて笑ったそうです。余程気味が悪かったそうです。
それから、この釣棹《つりざお》を寄せて、一緒にして、その水の中をガバガバと掻《か》き廻《まわ》したんだそうです。
その音がつまり、私の祖父《じじい》の耳に聞えたんです。それから、その女郎屋の主人は、祖父《じじい》の処《ところ》へ迎《むか》いに来たんです。
楼《うち》へ帰ってからその主人は、三月《みつき》ほど病《わずら》いました。病《わずら》ったなり死んでしまいました。
夜釣に行くくらいだからそう憶病者ではなかったのです。水の中も掻《か》き廻《ま》わしたくらいなのですけれど、千住へ来るまでは怖くって口も利けなかったと言ってたそうです。
それから私の祖父《じじい》も釣《つり》を止《よ》しました。大変好きだったのですが止《よ》してしまいました。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
1911(明治44)年12月
初出:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
1911(明治44)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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