、やがて、その人に由《よ》りて、これを知らるるでありましょう、これは今より確言《かくげん》をしておきます……
他《た》に未《ま》だ何か記してあったが、遺書の大体の意味はこういうのであった。
談《はなし》変って、私は丁度《ちょうど》その八月十九日に出発して、当時は京都から故郷なる備中連島《びっちゅうつらじま》へ帰省《きしょう》をしていた薄田泣菫《すすきだきゅうきん》氏の家を用向《ようむき》あって訪ねたのである、そして、同氏の家に三日ばかり滞在していた、ところが、その廿一日《にじゅういち》の夜には、氏の親戚を初め近隣の人々を集めて、或る場所で自分の琴を聴かした、十時少し前後演奏が終りて、私は同氏の家へ帰って泣菫氏と共に、枕を並べて寝《しん》に就《つ》いた、
すると恰《あだか》も十二時過ぎたかそれとも十二時頃だったか、私の寝ていた傍《そば》の床《とこ》の間《ま》に立て懸けておいた、琴が突然音を立てて鳴り出したのである、泣菫氏は最早《もう》よく寝ていたので、少しも知らぬ、室内には、薄燈《うすあかり》がついていたので、私は驚きながらも枕から頭《かしら》を擡《もた》げて、何《いず》れの糸が鳴
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