にしたのがそもそも娘の不運の基《もと》であった。
両親は頗《すこぶ》る喜んで早速この由《よし》を先方《さき》へ通ずる、そこで、かたの如く月下氷人《なこうど》を入れて、芽出度《めでた》く三々九度も終ったというわけだ。
男というのは当時某会社に出勤していたが、何しろこんなにまで望んで嫁《と》った妻《かない》のことでもあるから、若夫婦の一家は近所の者も羨《うら》やむほど睦《むつま》じかった。しかしこれもほんの束の間、後《あと》でだんだん知れてみると、この男というのは性質の頗《すこぶ》るよくない奴で、女房を変えること畳を変えるが如きほどにも思っていない、この娘が丁度《ちょうど》三人目だとの事、それもこれも最早《もはや》後の祭りで既に遅い、男はそろそろ妻《かない》に秋風が吹いて来た、さあ、こうなると、こんなつまらない女房は無い家《うち》へ帰ってもつまらないと、会社からすぐ茶屋へ廻《まわ》るという有様《ありさま》で、始終|家《うち》を外の放蕩三昧《ほうとうざんまい》、あわれな妻《かない》を一人残して家事の事などは更《さら》に頓着《とんじゃく》しない、偶《たま》に帰宅すれば、言語《もの》のいい様《ざま》箸の上《あ》げ下《お》ろしさては酌《しゃく》の仕方が悪《わ》るいとか、琴を弾くのが気にくわぬとか、打ち打擲《ちょうちゃく》はまだしもの事、或《ある》時などは、白魚《しらお》の様な細指を引きさいて、赤い血が流れて痛いので妻《かない》が泣くのを見て、カラカラと笑っていると云った様な実に狂気《きちがい》じみた冷酷の処置であった。あまりといえばあまりの事、さりとて実家に帰ってこの苦痛を訴えて両親に心配させるのもこの女の出来ぬ事だし、兼《かね》て自分とは普通|一片《いっぺん》の師匠以上に親しんでおったので、或《ある》時などは私の許《とこ》へ逃げてきて相談をした事もあった、私も頗《すこぶ》る同情に堪《た》えなかったが、別にこの縁談については中に立ったというわけでもなし、旁々《かたがた》下手に間に入って口をきくと、反《かえっ》て先方《せんぽう》から怨《うら》まれなどした事もあったので、恰《あだか》も向岸《むこうぎし》の火事を見る様に傍《かたわら》で見ていて如何《どう》する事も出来ず、唯《ただ》はらはらと気を揉《も》んでいたばかりであった。
そうこうする内に、これらの苦痛や煩悶がもとで前よりあった肺病が一層《いっそう》悪くなって終《つい》に娘はどっと床についた、妻《かない》がこんな病気になったからとて、夫は別に医師にかけるではなし、結局それを楯に出て行《ゆ》けがしのしうちをして、相変らず外遊びはやまなかった、娘の実家でも病気という事の趣《おもむき》を聞いて早速実母が看病にと泊りに来た、するとあろう事かあるまい事か、夫も夫なら母も母だ[以下、二十二字分の伏字あり]人面獣心《じんめんじゅうしん》のこの二人は、今かかる病床に苦しんでいる娘の枕許《まくらもと》で、[以下、十字分の伏字あり]け散らしていた。嫁入《よめいり》の時に持って来た衣服《いしょう》道具などはいつしかもうこの無情な夫の遊蕩《ゆうとう》の費《ひ》となって失われておった。私も兼《かね》て病気と聞き見舞《みまい》に行《ゆ》きたいと思ったが、何をいうにも前述の如き仕儀《しぎ》なので、反《かえっ》て娘の為《た》めに見舞《みまい》にも行《ゆ》けず蔭ながら心案じていたのである、幸《さいわい》に心やさしい婢女《げじょ》の看護に、いくらか心をなぐさめられて、おしからざる命を生きながらえていました。左様《さよう》、床には四ヶ月も居たろうか、すると驚いたのは母が現在自分の夫[以下、四字分の伏字あり]した事である。床中《しょうちゅう》に呻吟《しんぎん》してこの事を知った娘の心は如何《どう》であったろう、彼女《かれ》はこれを聞《きい》てから病《やまい》も一《ひと》きわ重《おも》って、忘れもしない明治三十八年八月二十一日の夜というに、終《つい》にこの薄命な女は、呪うべき浮世を去ったのである、さすがの夫もまさかこの夜は傍《そば》に居たかと思いの外、この夕方女は咯血《かっけつ》をして、非常に衰えていたのを見知っていながら、夫は母と共に外出して夜更《よふ》けても帰って来ない、もう病人は昏睡状態に陥《おちい》って婢中《じょちゅう》の腕《かいな》に抱《だか》れていたが、しきりに枕の下を気にして口をきこうとして唇をかすかに動かせども、もう声が出ない、またもやしきりに烈《はげ》しく血を吐いたが遂《つい》にそのまま睡《ねむ》るが如くに息は絶えた。間もなく二人は帰って吃驚《びっくり》したがそれ程にも悲しい様子でもない、早速《さっそく》実家の父親へ使《つかい》を走らして、飛んで来た父親だけはさすが親子の情ですくなからず、悲歎の涙にくれてい
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