た、前に云うのを忘れたがこの母に比して父という人は評判の好人物であったのだ、婢女《じょちゅう》の談《はなし》で兎《と》に角《かく》気になるから皆《みんな》に立合《たちあ》った蒲団《ふとん》の下を見ると、はたせるかな、二通の遺言状が出た、何時《いつ》書きしものか解《わか》らねど、ふるえた手跡《しゅせき》に鉛筆での走り書きで一通は、師匠の私へ宛てた今日《きょう》までの普通の礼を述べた手紙で、尚《なお》一通のは即《すなわ》ちこの父親に残したものであった、これは長いものだったが要を摘《つま》んで談《はな》せばまあこうである。
 妾《わたし》は頼みなき身をこのたより少なき無情の夫の家にながらえいる、最早《もはや》妾《わたし》の病《やまい》も到底《とうてい》治ることもあるまい、親たる父に未《ま》だ孝の道も尽《つく》さずして先だつ不孝は幾重《いくえ》にも済まぬがわたしは一刻も早くこの苦しい憂世《うきよ》を去りたい、妾《わたし》の死せる後《のち》はあの夫は、あんな人|故《だから》死後の事など何も一切《いっせつ》関《かま》わぬ事でしょう、また葬式|一切《いっさい》の費用に関しても、最早《もはや》自分の衣類道具も片なくなっている際《さい》でもあるし、如何《どん》な事をするかも知れない、が妾《わたし》は死しての後《のち》はあの安らかな世に行《ゆ》く様せめては一本の香烟《こうえん》を立ててもらいたいが、それも一度実家を出《い》でてこの家の妻となりしものが、死せる後《のち》再び父なる人の御世話になるのは、しに行《ゆ》く我心にとって誠に心よくないから、実は妾《わたし》にとっては何とも心もとないことだが時節なれば致方《いたしかた》ないと諦めて過日《すぐるひ》は日頃|愛玩《あいがん》の琴二面を人手に渡して、ここに金が六十円出来た、老いたる親に思いもよらぬ煩《わずらい》をかけて先だつ身さえ不幸なるに、死しての後《のち》までかかる御手数をかけるは、何とも心苦しいが、何卒《なにとぞ》この金を以《もっ》て、妾《わたし》の身は貴下《あなた》の手から葬式をして一本の御回向《ごえこう》を御頼み申《もうし》ます。憶出《おもいだ》せばこの琴はまだ妾《わたし》が先生の塾に居《お》った時分|何時《いつ》ぞや大阪《おおさか》に催された演奏会に、師の君につれられて行く時、父君《ちちぎみ》が妾《わたし》の初舞台の祝《いわい》
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