い》に私は一日の閑《かん》を得たので、二三の兵卒を同道して、初対面のこの大伯父の寺を訪れたのである。老僧は八十有余の善智識《ぜんちしき》であって、最早《もう》五十年来、この寺の住職である。初対面の私を種々《しゅしゅ》厚遇してくれて、さて四方山《よもやま》の談話《はなし》の末に老僧がいうには、「お前|達《だち》は、まだ齢《とし》若い血気の少年であるから、幽霊などがあるといったら、一概に貶《けな》すことだろうが、しかしそうばかりではなくこの世には、実に不思議なことが往々《おうおう》にしてあるものだから、今私がお前|達《だち》にも談《はな》してきかせよう」と如意《にょい》片手に、白髯《しらひげ》長きこの老僧が、改《あらたま》って物語る談話《はなし》を聞けば、こうである。
「それは、まだ自分がこの寺の住職になってから、三四年の後《のち》のことであった、自分もその時分は三十前後のことだったが、冬のことで、ふと或《ある》晩、庫裏《くり》の大戸《おおと》を叩いて訪れるものがある、寺男は最早《もはや》寐《ね》ていたが、その音に眼を覚まして、寝ぼけ眼をこすりこすり戸を開けて見ると驚いた、近所に稀《ま》れな、盛装した、十八九の娘が立っていて、方丈の私に是非《ぜひ》会いたいというのであった。寺男も、この冬の晩遅くそんな女が、私に会いに来たのだから、余程、不思議に思って、急いで私の居間に来て、その由《よし》を告げた。私は少し思う所があったので、早速、その頃寺に居た徒弟共を一室《ひとま》に集めて、さて静かにいうには、今当山に訪れたものは、お前|達《だち》も兼《かね》て知っておる通り、この一七日前に当山に於て葬礼の式を行った、新仏《しんぼとけ》の○○村の豪家《ごうか》○○氏の娘の霊である、何か故《ゆえ》のあって、今宵《こよい》娘の霊が来たのであろうから、お前|達《だち》も後々《のちのち》の為《た》めに窃《ひそ》かにこれを見ておけと告げて、彼等徒弟は、そっと一室《ひとま》に隠れさしておき、寺男には、その娘に、中門《ちゅうもん》の庭より私の居間へ入来《はいりく》る様に命じてやった。私は直《すぐ》に起《た》ってそこの廊下の雨戸を一枚|明《あ》けて、立って待っておると戸外《おもて》は朧《おぼろ》の夜で庭の面《おも》にはもう薄雪の一面に降っていた。やがて中門《ちゅうもん》より、庭の柴折戸《しおりど》を静かに開けて、温雅《しとやか》に歩み来る女を見ると、まぎれもないその娘だ、文金《ぶんきん》の高島田に振袖の裾《すそ》も長く、懐中から垂れている函迫《はこせこ》の銀の鏈《くさり》が、その朧《おぼろ》な雪明りに、きらきらと光って見える、俯向《うつむ》き勝《が》ちに歩むその姿は、また哀れが深くあった、私は懇《ねんご》ろに娘を室《へや》に招じて、来訪の用向《ようむき》を訊ねると、娘は両手を畳につきながらに、物静かにいうには、実は妾《わたし》は何某《なにがし》の娘で御座《ござ》いますが、今宵《こよい》折入って、御願《おねがい》に上った次第というのは、元来|妾《わたし》はあの家の一粒種の娘であって、生前に於ても両親の寵愛も一方《ひとかた》では御座《ござ》いませんでした、最早《もう》妾《わたし》の婚礼も日がない、この一七日|前《ぜん》に、妾《わたし》は遂《つい》に無常の風に誘《さそわ》れて果敢《はか》なくなりました身で御座《ござ》います、斯様《かよう》な次第|故《ゆえ》、両親の悲歎は申すも中々《なかなか》の事、殊《こと》に母の心は如何《いか》ばかりかと思えば、妾《わたし》も安堵して、この世を去り兼《か》ねまするに、更《さ》らに、母は己の愛着のあまり、死出《しで》の姿にかうるに、この様な、妾《わたし》が婚礼の姿をその儘《まま》着せてくれまして、頭の髪も、こんな高田髷《たかたまげ》に結《ゆ》うて、厚化粧までしてもらったので、妾《わたし》は益々《ますます》この世に思《おもい》が残って、参るところへ参られぬ始末なので御座《ござ》います、何卒《なにとぞ》方丈様の御功徳《ごくどく》で、つゆも心残りなく、あの世に参れますよう、実は御願《おんねがい》に只今《ただいま》上りましたので御座《ござ》いますと、涙片手の哀訴に、私は直《ただ》ちに起《た》って、剃刀《かみそり》を持来《もちきた》って、立処《たちどころ》に、その娘の水の滴《た》るような緑の黒髪を、根元から、ブツリ切ると、娘は忽《たちま》ちその蒼白く美しい顔に、会心《かいしん》の笑《えみ》を洩《もら》して、一礼を述べて後《のち》、妾《わたし》がほんの志《こころ》ばかりの御礼の品にもと、兼《かね》てその娘が死せし際に、その枢《ひつぎ》に納めたという、その家に古くより伝わった古鏡《こきょう》と、それに、今|切落《きりおと》した娘の黒髪とを形見に残して
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