ょろう》の談《はなし》だの、同山の一部である猫魔山《ねこまやま》の古い伝説等は、吾々をして、一層《いっそう》凄い感を起《おこ》さしたのである。
 そして、この檜原の宿《しゅく》とても、土地の人から聞くと、つい昨年までは、その眼の前に見える湖の下にあったものが、当時、上から替地《かえち》を、元の山宿《やましゅく》であった絶項の峠の上に当《あた》る、この地に貰って、漸《ようや》くに人々が立退《たちの》いたとのことである。
 吾々は、次《つ》ぎの日に、この新らしき湖を、分隊|毎《ごと》に分れて、渉《わた》ったが、この時の絶景といったら、実に筆紙《ひつし》にも尽《つく》し難い、仰向いて見れば、四方の山々の樹々が皆|錦《にしき》を飾って、それが今|渉《わた》っている、真青に澄切ってる、この湖に映じて、如何《いか》な風流気のない唐変木《とうへんぼく》も、思わず呀《あっ》と叫ばずにはおられない、よく談話《はなし》にきく、瑞西《すいつる》のゲネパ湖の景《けい》も、斯《か》くやと思われたのであった、何様《なにさま》、新湖《しんこ》のこととて、未《ま》だ生々しいところが、往々《おうおう》にして見える、船頭の指すが儘《まま》に眺めると、その当時までは、村の西にあって、幾階段かを上ったという、村の鎮守の八幡の社《やしろ》も、今|吾人《ごじん》の眼には、恰《あだか》もかの厳島《いつくしま》の社の廻廊が満つる潮に洗われておるかのように見える、もっと驚いたのは、この澄んでいる水面から、深い水底《みなそこ》を見下すと、土蔵の白堊《はくあ》のまだ頽《こわ》れないのが、まざまざとして発見されたのであった、その他湖上の処々《しょしょ》に、青い松の木が、ヌッと突出《つきで》ていたり、真赤に熟した柿の実の鈴生《すずなり》になっておる柿の木が、とる人とてもなく淋しく立っているなど、到底《とうてい》一寸《ちょっと》吾々が想像のつかぬ程の四辺《あたり》の光景に、いたく異様の感を催して、やがてかの東北有数の嶮阪《けんはん》なる○○峠を越えて、その日の夕暮近く、兼《かね》て期定《きてい》されたる、米沢の宿営地に着したのであった。
 ところが、この地に着いて、偶然《ふと》私は憶出《おもいだ》したのは、この米沢の近在の某寺院には、自分の母方の大伯父に当る、某《なにがし》といえる老僧が居《お》るという事であった。幸《さいわ
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