た。昨年のこと、ある友人から浜田弥兵衛の話は何かのまちがひではないかと言はれた。武蔵の国の住人が長崎の町人になつて御朱印船を乗り廻したり、台湾であばれたり、あれだけすばらしい働きをしてもう一度うまれ故郷(?)に帰つて隠居をして死んだとも思はれない。あるひはずつと若い少年時代にこの土地を出て行つたのだとも思はれない、長崎の町には浜田家の子孫が今も栄えてゐるといふ話で、何かぴつたりゆかないやうだと言はれた。さういふ事をくはしく訊いて見ようにも浜田山の人はみんな年がわかいのである。私たちの隣家の主人の祖父の時代に浜田弥兵衛の何百年祭とかをしたといふ話で、この土地の事を細かく知つてゐる八十以上の老人がまだ一人この村に生き残つてゐるから、或はその人が何か知つてゐるだらうと言はれたが、私はその家まで訪ねて行く熱心さを持つてゐない。同じ浜田でもちがつた浜田でも少しも差支ないとさへ思ふのだが、それでもお墓参りに行つてみた。軍が浜田家の松山を買つた時、土地の人たちが墓碑を西永福の理性寺に移したといふので、そこへ行つた。古い石でなく新しい墓が立つてゐた。理性寺の住職は折あしく不在で何も話をきかれなかつたが
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