買ひませう」と私が即座に言つたのは、気のながい私にしては不思議な事であつたが、さうした廻り合せで私は二十余年住みなれた大森を出て来たのである。殆ど硝子張りといつたやうなアトリエ風の小家で、雨戸や畳もなく壁はテツクスだから、雨かぜの夜は武蔵野のまん中で野宿して濡れしほたれてゐるやうな感じもしたが、私はわりに気らくで、一二年もすればまた大森の家に帰れる、これは疎開の家だといふ風に考へてゐた。浜田山といつても別にどこにも山があるのではなく、ところどころに椎や樫の大樹がしげつて、それが空を被うて山のやうであつた。この土地は開けるのがわりに遅かつたから古い樹々も竹籔も伐られずにゐたのだと思はれる。駅から西にあたつて三井グラウンドのひろびろと青い芝生があり、白ペンキの低い木の柵がめぐらされて何時も明るい清潔な感じを見せてゐる。駅の東の方にやや遠く、広い草原があり、松の大樹が無数にそびえ立つて、松の根もとをうねる細みちにはひる顔の花が咲いたりして、美しい松山があつた。
いつ聞くともなく聞いたのは、この松山がむかし浜田弥兵衛の家のあつた土地で、浜田弥兵衛は長崎や台湾であれだけの働きをした人だから、そ
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