に「ハナガサイタ、ハナガサイタ」といふ日本の言葉だけであつた。猫に小判といつたやうに、もつたいないけれど何も分らなかつたが、それでも、今でもその「ハナガサイタ」を覚えてゐるのはふしぎである。やはり、詩人の好い言葉であつたのだらう。
 詩人はずつと前に夫人を亡くして独身であつた。詩人の大家さんであるA家の令嬢に恋を感じて日本むすめの彼女を讃美する詩を書いたといふ評判だつたが、どんな詩であるか私たち子供はむろん知らなかつた。詩人がプロポーズしたといふ噂もほんのり聞いたけれど、A令嬢は現代の娘たちとはまるで違つてじつに落ちつき払つた美人であつたから、だれもその噂の真偽を伺ふことはしなかつた。彼女はその時分私と同じ学校の三つぐらゐ上の級であつたが、間もなくそこを止めて上野の音楽学校にかはつた。琴もピヤノもうまかつたが琴の方では作曲もした、後日結婚してから助教授になつて研究を続けてゐたが、夫が実業家としてだんだん多忙な生活をするやうになつて彼女も純粋な家庭人となつたやうに聞いてゐる。さて私のおもひでは軽井沢の豚料理や桃の砂糖漬から飛んで麻布の仕立屋にゆき、仕立屋のうしろの高台まで行つてくたびれた
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