九條公爵の家々があつたが、今そんなとこまで私は行くのではない。A海軍中将の家のことである。A中将は軍人ながら大変な金持で下町の神田日本橋辺にも沢山の土地を持つてゐるといふ噂であつた、もう疾くに隠居して西洋の軍人みたいにのびのび暮してゐるのだつたが、屋敷の一部を割いて立派な西洋館で外人向きの大きな貸家を二軒ほど持つてゐて、内外の名士に貸してゐたらしいが、私が思ひ出すのは、或る時イギリスの詩人サア・エドウィン・アーノルドが日本に来てその家にしばらくゐたことである。詩人は令嬢を連れてゐた。
その時分(仕立屋にお使に行つた頃よりずつと後のことである)私のゐた女学校はカナダ人が建てたものだから、当時イギリス第一といわれてゐた詩人に講演を頼んだ。私たち子供は何も分らず、ただ有名な詩人と聞いてどんなにスマートな人だらうと内々期待して講堂に出てみると、もう好いかげんなをぢさん顔の人で(五十代であつたらうと思ふ)背があまり高くはなく、顔はどことなくロシヤ人のやうな厚みがあつた。講演なんぞしたところで十七八をかしらの女学生に分りつこないのだから、詩人は自作の詩を読んだ。私たちにわかるのは一節一節のをはり
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