く私は歌を詠んだ。
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入海《いりうみ》の浅瀬の水草《みくさ》日にねむる手樽《てだる》の駅をわが過ぎにける
みちのくの海辺の家にみだれ咲く黄菊しらぎく食《を》すためにありとも
真昼間《まひるま》の空気騒がして鴎とぶ船つくり場の黒き屋根のへ
昼食《ひるげ》せむ家たづねつつ鴎飛ぶ裏町をゆき橋わたり行き
水に立つ石垣ふるく黒ずみて秋日のなかに白きかもめら
海かぜも日もまともなる丘の上に大洋《おほうみ》に向く神のみやしろ
石の巻|日和山《ひよりやま》のうへにわが見たる海とそらとの異《こと》なる日光《ひかり》
青海の波にひとすぢかげりあり北上川の水流れ入る
大洋《おほうみ》は秋日まぶしくいにしへの伊峙《いし》の水門《みなと》を船出づる今日も
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 仙台の動物園はかなり大きいもので、ずつと以前浅草の花屋敷が持つてゐたのを仙台市で買つたのだといふことである。Fの家の二階から見ると、大学のグラウンドの向うの右手の丘のすそにその大きな白い門が見え、夜は夜じう一つの電燈が光つて、向うの丘の観音様の灯よりも近いだけ大きく光る。その動物園にあまり興味は持たなかつたがCと二人で行つて見た。お役所といひたいやうな広いいかめしいお庭で、門をはいつて一ばん初めのところに猿たちがゐる、複数も複数、たいへんな複数で、とてもおびただしい猿たちがひろい金網の区ぎりの中でのんきににんじんを食べ、蚤の取りつこをしたり、林檎の皮をむいたりしてゐる。「猿が島」と呼ばれてゐたさうである。上野にゐる生きものたちと同じやうにこの庭にも沢山の住み手がゐて、象だけはゐないが、ほかの動物仲間は大ていゐた。虎は二ひき、虎らしく動いてゐた。少し離れた大きな檻にライオンがゐた。広瀬川がざつざつと流れるその音にいちばん近い場所で彼は秋日の中にひるねしてゐた。何もかもつまらなさうな、あきらめてゐるやうな姿でもあつた。熊もゐた。熊もつまらなさうだが、それでも何か期待《あて》があるやうに歩いて人間をながめる。猿ではじまり、いちばんおつめのところがペルシヤ猫の仲間である。元来私は猫が好きなのだが、ペルシヤ猫は何か暗いものを持つてゐるやうで親しめない、その立派な長い毛、短かい脚、すばらしくふさふさした長いしつぽ、野の物の荒い表情を持つ眼の光、……私には、ペルシヤ猫は人間とはまるで別な世界の独立したけもので、少し怖いのである。けものといふ字が本当に彼等を形容する。じつに見事な猫たちで、二匹は何か私の方を気がかりさうに見て、のそのそ歩き廻り、こちらを時々見てゐる。二ひきはぐうぐう寝てゐる、一匹はたいそう不機嫌で、丸くなつて網の中にうづくまつてゐる。
「お猫さんたちや、この広いお庭の中で、あなたたちと熊さんがいちばん好きです」とペルシヤ猫に言つた。
 帰らうとしてまた出口の猿のところまで来た。ほんとうに群がりうごく猿の島である。やや疲れたらしく夕日にうづくまつてゐるものが多い。彼等のいしきがどれもどれも赤い。向ふの山のもみぢよりもずつと赤く、もつと現実味の赤である、それをみんながこちらに向けてゐる、いきにも帰りにもにんじんを買つてくれないなんて、ぼんやりなお客だね。そんな奴、臀を向けてやれと一ぴきの猿が言ひ出して猿から猿にさう言つたらしく、猿が島じうの猿がことごとく私たちに臀を向けてゐた。人間はまことにぼんやりの動物であるが、全体のストには気がついてすつかり照れて帰つて来た。

 昭和十八年の春、四月の中ごろ私はまた仙台に行つた。黒磯あたりの桜が満開で、東京では見られない濃艶ないろを見せてゐた。神国とかみそぎとか訓練といふような言葉ばかし東京で聞いてゐる身には、むかしの昔から日本に咲いたであらう花々をながめ、遠い北の空にあたらしい雪を頂いた高い山々の姿なぞ見てゐるとき、自分がむかしの世に生きてゐるのか、現代を通り過ぎた明日の世界にふみ入つてゐるのか、ぼんやりした気もちで四方の景色を見て過ぎた。平野の人の住む村ざとには桃やこぶしが紅く白く咲きあふれて、都から出て来たものに殊に季節のにほひを深く感じさせた。
 仙台の家では白猫がびつくりするほど大きくなつて、いろいろな芸をするやうになつてゐた。私のにほひを嗅いで、一年間わかれてゐた友達をおもひ出したやうである。
 塩釜様のお宮の桜が今ちやうど盛りだといふことだつたが、まづそれより一歩近いところにと言つて、翌日は躑躅が丘に行つてみた。電車を下りてからすこし昇つて行くのである、仙台の何師団かが占領して、広い丘の半分以上は兵隊さんがあちらこちらに立つてゐたが、それにもかかはらず丘のしだれ桜は美しかつた。今までどこかの庭にしだれ桜が稀に一本ぐらゐ咲いてゐるのを見ただけの眼には、この公園全部に咲きみだれてゐる花を見ることは珍らしか
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