て、感謝する言葉で、大勢の女ばかりの黒衣の労働者の中に彼はスマートな姿で立つてゐた。
 掘るのは三日で終つたが、コンクリの仕事が長くかかり、それがすつかり出来ると、消防署の自動車が水を運びお池が出来あがつた。都と区役所の人と町会長が検分に来て椽側でお茶を飲んだ。「お庭のながめが一しほで、じつに気持が好い、夏は緋鯉をお放しになるとよいです」と彼等は平和な話をして帰つて行つた。門内の樹のあひだを自動車が出入りすることはむづかしいので、西側の道路に面した生垣を二間ほどきり取つて、ふだんは人目につかないやうに塞いでおくことにした。
 この池をほんとうに使用する時が来ない内に、私は急に大森の土地を離れて杉並区の方に移つたから、その後のことは知らない。翌年の春、この辺の土地全体が大幅に池上の丘の下まで強制疎開になつたので、たぶんこの池は一度も使はれずに終つたのだらうと思ふ。偶然の事ながら、三月末に伜が急に亡くなつたのと新井宿の家の毀されるのと殆ど同時であつた。馬込の彼の家に泊つてゐて、二七日が過ぎてから私は毀された家を見に行つた。庭には瓦の山が積まれてその辺いちめんに土ほこりが黄いろい靄のやうに流
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