スは凡ての歓びにみち足りてただ一人イデンの園に生きてゐた。四季の花は咲き、果実も草の実も欲しい物は何でもあつた。鳥たちもけものたちもかれらの声と言葉を以てリリスに仕へ、星のきらめく夕方は神の子たち(天使といはれる種族)が天から地上に遊びに来た。かれらには彼らの声と言葉があつて、天上の友だちや地上の友だちでリリスは寂しいことを知らないでゐた。さうやつて何時を限りとなくリリスは楽園の花のやうに生きてゐたが、満ち足りた彼女には希望がなかつた、だから失望も知らなかつた。しぜん、悲しみを持たないのだつた。リリスは何年か何千年かかうして暮してゐるうちに、ほのかに一つの感情を味つた。それはくたびれたのである。不足のない悲しみのない幸福にくたびれて、ある時彼女ははじめて溜息をついたのであつた。夕風のやうに静かな音もしないものであつたけれど、神のお耳にリリスの溜息がそうつと届いた。あきらかにこの創作が失敗の作であることを神はお悟りになつて
「リリスよ、あはれな物よ、草臥れたのか? 消えてよろしい、消えよ」とおつしやつた。リリスはそのとき白い波の立つ海辺を歩いてゐたが、たそがれる海の色がリリスの眼に映つた
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