郷愁がアイルランド文学の上に落ちて行くのを、吾ながらあはれにも感じるけれど、今の時節には何でもよい、食べる物のほかに考へることができるのは幸福だと思ふ。ケルト文学復興に燃えた彼等の夢と熱とがすこしでも私たちに与へられるならば、そしてみんなが各自に紙一枚ほどの仕事でもすることが出来たならばとおほけなくも思ふのである。
 馬込の家で空襲中は土に埋めて置いた本の中に、むかし私が大切にしてゐたグレゴリイの伝説集も交つてゐた。先だつてその本を届けて貰つたので、アメリカの探偵小説位しかこの小さい家に持つて来なかつた私は、久しぶりに「ありし平和の日」の味を味はふやうにその二三の本をよみ返した。世の中が変り自分自身も、まるで変つたのであらう、その伝説を読んでも物の考へかたが昔とは違つて来た。
 たとへば、ホーモル人の王、「毒眼のバロル」はアイルランドの海岸に近い島にガラスの塔を建ててその中にとぢこもり、その毒眼で海を行く船を物色して掠奪する。そんな話をむかし読んだ時には大西洋の波の中にみえ隠れするガラスの塔に朝日夕日が映るけしきを考へて、すばらしいものに思つたりした。今はまるで違ふ。はて、このガラスは何処の国から仕入れた物だらう。ホーモル人のつぎの住民ダナ民族のその次に来たゲール人の時代に英雄クウフリンが生れて、クウフリンがキリストとほぼ同時代といふのだから、どこの国からそんなに沢山のガラスを持つて来たのだらうといふやうに考へる。いま私の家のガラス戸が二枚砕けてゐて、それを板でふさいであるので、私には非常に尊いガラスなのである。そして又ガラスの塔の中ではバロル王も冬は寒かつたらうと思ふ。つまり私の家はまるきり雨戸がなく、ガラス戸だけの小家であるから、冬のむさし野の寒さをこの三年間身にしみて感じてゐるせゐもある。
 また名高い勇士を見ぬ恋にこひ慕つて「わたつみの国」から青い眼の金髪の姫君が訪ねて来る話もある。彼等は湖水を見晴らす野原のはじに家を建てる。森の老木を伐つて丸木の柱にして、鳥の羽毛で屋根をふき、うらの広場には家畜が飼はれる。厩には何十頭かの馬がゐる、家の前にはたくましい番犬がゐる。五十人の貴族の姫たちがその「わたつみの国」の姫君の相手となつて毎日裁縫をして部下の武士たちの衣服をぬふ、料理を手伝つて五十人百人の客の殆ど毎日の食事も支度する。子が生れると、暫時は母の乳で育てるが
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