、けつきよく伝説は水のあぶくほどのものかもしれない。
 ダニエル書の中に、ダニエルが示現《まぼろし》を見たところに「長《をさ》たる君の一なるミカエル来たりて我を助けたれば、我勝ち留りてペルシヤの王たちの傍にをる。」
 こんなやうに聖徒たちの示現《まぼろし》の中にだけ天使ミカエルは現はれる。旧約新約の聖書の中に天使といはれる者がたびたび人間に現はれて、神の心を伝へたり、進むべき道の案内をしたりするけれど、彼等はべつに頭に円光を頂いてゐるのでもなく背中に翼があるわけでもない、ただ人間以上の力と智を持つてゐるらしい者が人と口をきいたのである。彼等は人間であつたとしても差支へないのだが、ただミカエルだけは人間にまのあたり現はれたことはなかつたらしく、夢にだけ示現《まぼろし》にだけ現はれて、悪と戦ふ天使であつたやうだ。もしまたサタンが天使の長《かしら》であつたのなら、ミカエルは天使の長《かしら》でなく、その次席であつたらうか? そんな筈はない。彼は神自身であつたのではなからうか? あめつちの中に、戦ふ神であつたのではないか、つまりマナナーンであつたかと思はれる。しかし聖書の中の天使ミカエルは海と
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