ニューヨークから帰つて来た時分であつたらうか。その部屋部屋の姿を空に描いてみると、それは若い時の父が長崎に留学して親しみ馴れてゐたオランダの気分がその中に多分にあつたのではないかと思はれる。しかし十九世紀といふものがああいふのんびりした温い厚みのあるものであつたのかもしれない。自分の国の事もよく知らない私だから、もつと広いよその国の事はなほさら分らない。
大むかしアダムとイヴとが二人で暮してゐた時分、世界はひろく場席がありすぎてゐたが、だんだん人間が殖えて、それでもまだ十九世紀の末ごろのお手水場《てうづば》は三坪の場席を持つてゐた。二十世紀の半分を過ぎたいま昭和二十七年である。一度この国は大きな火に出会つて東京の隅から隅まで一つの寂しい野原になつたのだが、また段々に家が出来、住む人もふえて来た。しかしみんなが各自一軒づつの家を建てて住む事はまだ中々むづかしく、まづ部屋を借りて住むとなれば、夫と妻と二人だけ住むには三坪ぐらゐの場席があれば、それで充分といふことに限定されてゐるようである。私は昔の三坪のお手水場を思ひ出しても、別だんその時代が今よりも愉しかつたと思つてなつかしむのでもない
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