、ダブリンの病院で死んだ。病中書いてゐた「悲しみのデヤドラ」は完成しずにをはつた。婚約の女優メリイ・オネールが始終彼を見舞つてゐたが、或る日シングは彼女に「死ぬのはつまらないことだ」と言つて、あとを何も言はなかつた。この言葉はシングの戯曲の中にも出てくる。それからグレゴリイ夫人の伝説のなかにも、わかき英雄クウフリンが自分の親友と闘ひながら「お互に、勇士の生命は輝かしい、生きてゐよ、死ぬのはつまらないことだ」といふところがある。アイルランドの人たちは、聖者も詩人も勇士も、漁師も百姓もすべて現実派であるらしい。死といふものに彼等はぜつたいに何の夢も持つてゐないやうである。われわれ日本人もいま、死についての夢は振りおとしてゐるけれども。
イモをながめながら私は「アラン」の映画を思ひ出し、「アラン」からシングに飛び、シングから二十世紀の朝の希望に充ちた世界に飛んで行つた。眼の前のイモは五分前とも三十分前ともすこしも変らず春日に乾されてゐる。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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