まどはしの四月
片山廣子
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)お上《かみ》の
−−
その小説はエンチヤンテッド・エプリル(まどはしの四月)といふ題であつたとおぼえてゐる。大正のいつ頃だつたか、もう三十年も前に読んで、題までも殆ど忘れてゐたが、二三日前にふいと思ひ出した。ロンドンで出版されて当時めづらしいほどよく売れた大衆もので、作者の名も今はわすれた。
郊外に住む中流の家庭の主婦が街に買物に出たかへりに、自分の属してゐる婦人クラブに寄つてコーヒーを飲み、そこに散らばつてゐた新聞を読む。新聞の広告欄に「イタリヤの古城貸したし、一ヶ月間。家賃何々。委細は○○へ御書面を乞ふ」と珍らしい広告文であつた。それを読んだその奥さんはごく内気な、まるで日本の古いお嫁さんみたいな古い女であつたが、さびしい地味な家庭生活の中で、彼女がかうもしたい、ああもしたいと心のしん底でいつも思つてゐた事の一つがその時首をもちやげたのだつた。空想はその瞬間にイタリヤの古城に飛んで、何がしかの家賃を払つて、その古城を借り夢にも見たことのないイタリヤの四月の風光をまのあたり見たいと思ひ立ち
次へ
全5ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
片山 広子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング