てに保守主義ではなく、私のやうに親も家も何の取得もないやうな娘でさへ西洋人の学校を卒業したといふので、それを一つの手柄のやうに思はれて、(この時分は大方の上流令嬢たちは女子学習院か虎の門女学館に入学、中流の家では少数の頭の良いチヤキチヤキの娘だけがお茶の水といふやうな傾向であつた。)私の母に、あなたのお嬢さんは英語を習ひなすつてお仕合せだと思ひます。これからの世間はどんどん進んで行くのですから、外国語も一つ位はどうしても必要でせう。今はすべてが西洋風に反対してゐますけれど、やがて今と違つた時節もまゐりませう。私なぞももうすこし時間があればキヤット、ラツトからでも始めたいのですが。Hさんも英語を一生お役に立てなさるやうに、もつと勉強おさせになるのがよろしいと思ひますと言はれて、母はすつかり驚いて、あなたが西洋人の学校にはいつたのをほめて下さるのは田辺先生ぐらゐなものだねと笑つてゐた。
 その後先生は外出される日が多いので、留守居を置かれた。わかい後家さんで七八つの女の子をつれてゐる人だつた。八畳のお座敷の次の間も八畳で、茶の間兼寝室であつたが、留守居の人たちは食事する時と寝る時はこの部屋
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