の貯へをして置かれたに違ひないが、それを先生のほかに誰が知つてゐるか、これは身寄りの方たちがずゐぶん困ることだらうと思はれた。
宮様方からは立派なお見舞のお菓子や果物の籠が届いて床の間がせまくなつてしまつた。十日目になつて先生はふいと目をあけてそこらを見廻された。妹さんやお留守居の人は喜んで声を出して呼びかけたが、口はきかれず何か探すやうな様子で、しまひには右手を出して何か持つやうな手の格好であつたので、試しに鉛筆を持たせて上げると、それを器用に持たれた、それでは紙をと、小さい手帖を出して、字が書けるやうな位置にだれかが手で押へて上げると、先生は暫らく考へる姿でやがて鉛筆をうごかして何か書かれた。そばの人たちは息をひそめて待つてゐたが、鉛筆をぱたんと落して疲れたやうに眼をつぶられた。遺言と、みんなが思つた。その手帖をとり上げて妹さんが読み、つぎつぎにそばの人も読んで、みんな首をかしげた。手帖には字もはつきりと、「子猫ノハナシ」と書いてあつた。
先生はそれきり眼をあかず眠りつづけて翌朝亡くなられた。妹さんはがつかりし、お留守居の人は興味を持つてこの話を私たちお弟子に話してくれた。新聞記者も二人ばかり訪ねて来て「子猫ノハナシ」を不思議がつたが、それはただ先生の夢の中の話なので、それきり後日談もなかつた。お葬式はすばらしく立派で賑やかで、私たちお弟子はみんな人力を連ねてお寺に送つて行つた。
ながい年月が過ぎた今でも私は時々先生をおもひ出す、先生がぴたりと坐つてをられる静かな姿と、そして最後のあの「子猫ノハナシ」と。さめない眠りの中で私も童話のやうな子猫の世界に遊びにゆけたら幸福であらうと思つたりする。
底本:「燈火節」月曜社
2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:林 幸雄
2009年8月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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