く。何ぞ猥褻の真偽を究《きわ》むるの要あらんや。
○文学美術にして猥褻の嫌ひあるもの甚だ多し。恋愛を描ける小説、婦女の裸体を描ける絵画の類、悉《ことごと》くこれを排《しりぞ》くべき歟《か》。悉くこれを排けて可なり。善を喜ぶのあまり時に悪を憎む事甚しきに過ぐると、悪を憐みて遂に悪に染むと、その弊《へい》いづれか大なるや。猥褻に近きものを排くるは人をして危《あやう》きに近よらしめざるなり。
○危きに近よらざるは好し。然れども危きを恐れて常に遠ざかる事の甚しきに過ぎんか。一度誤つて近けば忽《たちまち》陥つて復《また》救ふべからざるに至るの虞《おそれ》なからんか。厳に過ぐるの弊寛に流るるの弊に比して決して小なりといふを得んや。
○およそ事の利害にして相伴はざるは稀なり。倹約は吝嗇《りんしょく》に傾きやすく文華は淫肆《いんし》に陥りやすく尚武はとかくお釜《かま》をねらひたがるなり。尚武の人は言ふおかま[#「おかま」に傍点]は武士道の弊の一端なり。白壁《はくへき》の微瑕《びか》なり。一の弊あるも九の徳あらばその弊何ぞ言ふに足らんや。風流の人は言ふ風流人の淫行は人間の淫行にして野獣の淫に非《あ》らず
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