とう》、脱走した犯罪者の末路、女を中心とする無頼漢の闘争というが如きメロドラマが流行し、いずこの舞台にもピストルの発射されないことはないようになった。
戦争前の茶番がかった芝居には、それでも浅草という特種な雰囲気が漂っているものもたまには見られない事もなかったが、今ではそういう写実風の妙味は次第に失われて、脚色の波瀾と人物の活動とを主とする傾《かたむき》が早くも一つの類型をなしているようになった。劇場前に掲げ出される絵看板は、舞台の技芸よりも更に一層奇怪、残忍、淫褻《いんせつ》になった。絵看板と同じく脚本の名題《なだい》もまたそれに劣らぬ文字が案出されている。レヴューの名題には肉体とか絢爛《けんらん》とか誘惑とかいう文字が羅列され、演劇には姦淫、豺狼《さいろう》、貪乱といったような文字が選び出されている。
浅草の興行街には久しく剣劇といいチャンバラといわれた闘争の劇の流行していたことは人の記憶している所である。博徒無頼漢の喧噪を主とした芝居で、その絵看板の殺伐残忍なことは、往々顔を外向《そむ》けたいくらいなものがあった。チャンバラ芝居は戦争後殆どその跡を断ったので殺伐残忍の画風は転じて現代劇に移ったものとも見られるであろう。
西洋近代の演劇は写実の芸風を専一にしているが、人が殺されたり撲《ぶ》たれたりするところは決して写実風ではない。また女を殺す場面は避けて用いないようにしてある。然るに戦後に流行する浅草のメロドラマを見ると、女の虐待される場面のないものは甚《はなはだ》少いらしい。立廻《たちまわり》の間に帯が解け襦袢《じゅばん》一枚になった女を押えつけてナイフで乳をえぐったり、咽喉《のど》を絞《し》めたりするところは最も必要な見世場《みせば》とされているらしい。歌舞伎劇にも女の殺される処は珍しくないがその洗練された芸風と伴奏の音楽とが、巧みに実感を起させないようにしている。ここに芸術の妙味が認められる。
しかしわたくしは浅草の芝居の絵看板またその舞台を見て、戦争後の人心の残忍になった反映だとは考えていない。西洋の芝居で見るように西洋人は決して女を撲《なぐ》らないとも考えていない。わたくしは戦争後に現れた世間的事相に対する興味からこんな事を論述するのに過ぎない。流行演劇の残忍は娯楽雑誌に満載せられる大衆小説家の小説と、またその挿絵とに関係している事は勿論である
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