、時間もおそいので無論遊覧の人の姿も見えない。わたくし達一同の視線は唯前栽の中に咲いている箱根ウツギと池の彼方に一本生残っている老松の梢に空しく注がれるばかりであった。園主佐原氏は久しく一同とは相識の間である。下婢に茶菓を持運ばせた後、その蔵幅中の二三品を示し、また楽焼の土器に俳句を請いなどしたが、辞して来路を堤に出た。その時には日は全く暮れて往来《ゆきき》の車にはもう灯がついていた。
昭和改元の年もわずか二三日を余すばかりの時、偶然の機会はまたもやわたくしをして同臭の二三子と共に、同じこの縁先から同じく花のない庭に対せしめた。嘗て初夏の夕に来り見た時、まだ苗であった秋花は霜枯れた其茎さえ悉く刈去られて切株を残すばかりとなっていた。そして庭の隅々からは枯草や落葉を燬《や》く烟が土臭いにおいを園内に漲らせていた。
わたくしは友を顧みて、百花園を訪うのは花のない時節に若くはないと言うと、友は笑って、花のいまだ開かない時に看て、又花の既に散ってしまった後来り看るのは、杜樊川が緑葉成[#レ]陰子満[#レ]枝の歎きにも似ている。風流とはこんな事だろう。他の一友は更に傍より、花壇に花のないのは
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