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大正九年の秋であった。一日《いちじつ》深川の高橋から行徳《ぎょうとく》へ通う小さな汚い乗合《のりあい》のモーター船に乗って、浦安《うらやす》の海村に遊んだことがある。小舷《こべり》を打つ水の音が俄に耳立ち、船もまた動揺し出したので、船窓から外を見たが、窓際の席には人がいるのみならず、その硝子板《ガラスいた》は汚れきって磨《すり》硝子のように曇っている。わたくしは立って出入《でいり》の戸口へ顔を出した。
船はいつか小名木川《おなぎがわ》の堀割を出《い》で、渺茫《びょうぼう》たる大河の上に泛《うか》んでいる。対岸は土地がいかにも低いらしく、生茂《おいしげ》る蘆《あし》より外には、樹木も屋根も電柱も見えない。此方《こなた》の岸から水の真中へかけて、草も木もない黄色の禿山《はげやま》が、曇った空に聳《そび》えて眺望を遮《さえぎ》っている。今まで荷船《にぶね》の輻湊《ふくそう》した狭い堀割の光景に馴らされていた眼には、突然濁った黄いろの河水が、岸の見えない低地の蘆をしたしつつ、満々として四方にひろがっているのを見ると、どうやら水害の惨状を望むが如く、俄に荒凉の気味
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