今は鼻唄の代りに唱歌唄ふ田舎《いなか》の女多くなりて唯わけもなく勤めすますを第一と心得※[#「候」のくずし字、162−5]故遊びが楽になりて深く迷込む恐れもなく誠に無事なる世となり申※[#「候」のくずし字、162−6]。
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後藤宙外子《ごとうちゅうがいし》が作中たしか『松葉かんざし』と題せし一篇あり。浅草の風俗を描破する事なほ一葉《いちよう》女史が『濁江《にごりえ》』の本郷丸山《ほんごうまるやま》におけるが如きものとおぼえたり。天外子が『楊弓場《ようきゅうば》の一時間』は好箇の写生文なり。『今戸心中《いまどしんじゅう》』と『浅瀬の波』に明治時代の二遊里を写せし柳浪《りゅうろう》先生のかつて一度《ひとたび》も筆をこの地につけたる事なきはむしろ奇なりといふべくや。『湯島詣《ゆしまもうで》』の著者また浅草を描きたることなきが如し。
巷《ちまた》に秋立ちそめて水菓子屋の店先に葡萄《ぶどう》の総《ふさ》凉しき火影《ほかげ》に照さるるを見る時、わが身にはいつも可笑《おか》しき思出の浮び来《きた》るなり。およそ看る物同じといへども看る人の心|異《ことな》ればその趣もまた同じからず。一茶《いっさ》が句には
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一番の富士見ところや葡萄棚
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といふがあり。葡萄の棚より露重げに垂れ下る葡萄を見上《みあぐ》れば小暗《おぐら》き葉越しの光にその総《ふさ》の一粒一粒は切子硝子《きりこガラス》の珠《たま》にも似たるを、秋風のややともすればゆらゆらとゆり動すさま、風前の牡丹花にもまさりて危くいたましくまたやさしき限りなり。
島崎藤村子《しまざきとうそんし》が古き美文の中《うち》にも葡萄棚のこと記せしものありしやに覚ゆ。
今わが胸に浮出《うかびいづ》る葡萄棚の思出はかの浅間《あさま》しき浅草にぞありける。二十《はたち》の頃なりけり。どんよりと曇りて風なく、雨にもならぬ秋の一日《いちにち》、浅草|伝法院《でんぽういん》の裏手なる土塀《どべい》に添える小路《こうじ》を通り過ぎんとして忽《たちま》ちとある銘酒屋《めいしゅや》の小娘に袂《たもと》引かれつ。大きなる潰島田《つぶししまだ》に紫色の結綿《ゆいわた》かけ、まだ肩揚《かたあげ》つけし浴衣《ゆかた》の撫肩《なぜかた》ほつそりとして小づくりなれば十四、五にも見えたり。気の抜けし
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