み》ヶ|池《いけ》や姥《うば》ヶ|池《いけ》は今更|尋《たずね》る由《よし》もない。浅草寺境内《せんそうじけいだい》の弁天山《べんてんやま》の池も既に町家《まちや》となり、また赤坂の溜池《ためいけ》も跡方《あとかた》なく埋《うず》めつくされた。それによって私は将来不忍池もまた同様の運命に陥りはせぬかと危《あやぶ》むのである。老樹鬱蒼として生茂《おいしげ》る山王《さんのう》の勝地《しょうち》は、その翠緑《すいりょく》を反映せしむべき麓の溜池あって初めて完全なる山水の妙趣を示すのである。もし上野の山より不忍池の水を奪ってしまったなら、それはあたかも両腕をもぎ取られた人形に等しいものとなるであろう。都会は繁華となるに従って益々自然の地勢から生ずる風景の美を大切に保護せねばならぬ。都会における自然の風景はその都市に対して金力を以て造《つく》る事の出来ぬ威厳と品格とを帯《おび》させるものである。巴里《パリー》にも倫敦《ロンドン》にもあんな大きな、そしてあのように香《かんば》しい蓮《はす》の花の咲く池は見られまい。
都会の水に関して最後に渡船《わたしぶね》の事を一言《いちごん》したい。渡船は東
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