なた》から遠く静に眺め渡す時である。浅草の観音堂について論ずれば雷門《かみなりもん》は既に焼失《やけう》せてしまったが今なお残る二王門《におうもん》をば仲店《なかみせ》の敷石道から望み見るが如き光景である。あるいはまた麻布広尾橋《あざぶひろおばし》の袂《たもと》より一本道の端《はず》れに祥雲寺《しょううんじ》の門を見る如き、あるいは芝大門《しばだいもん》の辺《へん》より道の両側に塔中《たっちゅう》の寺々|甍《いらか》[#「甍」は底本では「薨」]を連ぬるその端れに当って遥に朱塗《しゅぬり》の楼門を望むが如き光景である。私はかくの如き日本建築の遠景についてこれをば西洋で見た巴里《パリー》の凱旋門《がいせんもん》その他《た》の眺望に比較すると、気候と光線の関係故か、唯《ただ》何とはなしに日本の遠景は平たく見えるような心持がする。この点において歌川豊春《うたがわとよはる》らの描いた浮絵《うきえ》の遠景木板画にはどうかすると真《しん》によくこの日本的感情を示したものがある。
私は適度の距離から寺の門を見る眺望と共にまた近寄って扉の開かれた寺の門をそのままの額縁《がくぶち》にして境内を窺《うかが
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