ついてこれを観《み》よう。
 不忍《しのばず》の池《いけ》に泛《うか》ぶ弁天堂とその前の石橋《いしばし》とは、上野の山を蔽《おお》う杉と松とに対して、または池一面に咲く蓮花《はすのはな》に対して最もよく調和したものではないか。これらの草木《そうもく》とこの風景とを眼前に置きながら、殊更《ことさら》に西洋風の建築または橋梁を作って、その上から蓮の花や緋鯉《ひごい》や亀の子などを平気で見ている現代人の心理は到底私には解釈し得られぬ処である。浅草観音堂とその境内《けいだい》に立つ銀杏《いちょう》の老樹、上野の清水堂《きよみずどう》と春の桜秋の紅葉《もみじ》の対照もまた日本固有の植物と建築との調和を示す一例である。
 建築は元《もと》より人工のものなれば風土気侯の如何《いかん》によらず亜細亜《アジヤ》の土上《どじょう》に欧羅巴《ヨウロッパ》の塔を建《たつ》るも容易であるが、天然の植物に至っては人意のままに猥《みだり》にこれを移し植えることは出来ない。無情の植物はこの点において最大の芸術家哲学者よりも遥《はるか》によく己れを知っている。私は日本人が日本の国土に生ずる特有の植物に対して最少《もすこ
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