れは竹橋の方から這入って来ると御城内《ごじょうない》代官町の通は歩くものにはそれほどに気がつかないが車を曳《ひ》くものには限りも知れぬ長い坂になっていて、丁度この辺《へん》がその中途に当っているからである。東京の地勢はかくの如く漸次《ぜんじ》に麹町|四谷《よつや》の方へと高くなっているのである。夏の炎天には私も学校の帰途《かえりみち》井戸の水で車力や馬方と共に手拭《てぬぐい》を絞って汗を拭き、土手の上に登って大榎の木蔭に休んだ。土手にはその時分から既に「昇ルベカラズ」の立札《たてふだ》が付物《つきもの》になっていたが構わず登れば堀を隔てて遠く町が見える。かくの如き眺望は敢《あえ》てここのみならず、外濠《そとぼり》の松蔭《まつかげ》から牛込《うしごめ》小石川の高台を望むと同じく先ず東京|中《ちゅう》での絶景であろう。
私は錦町からの帰途|桜田御門《さくらだごもん》の方へ廻ったり九段《くだん》の方へ出たりいろいろ遠廻りをして目新しい町を通って見るのが面白くてならなかった。しかし一年ばかりの後《のち》途中の光景にも少し飽《あ》きて来た頃私の家は再び小石川の旧宅に立戻《たちもど》る事になった
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