られた仙寿院《せんじゅいん》の名園ある事は、これも『江戸名所図絵《えどめいしょずえ》』で知っている処から、日和下駄《ひよりげた》の歩きついでに尋《たず》ねあてて見れば、古びた惣門《そうもん》を潜《くぐ》って登る石段の両側に茶の木の美しく刈込まれたるに辛《から》くも昔を忍ぶのみ。庭は跡方《あとかた》もなく伐開《きりひら》かれ本堂の横手の墓地も申訳らしく僅《わずか》な地坪《じつぼ》を残すばかりであった。
 今日《こんにち》上野博物館の構内に残っている松は寛永寺《かんえいじ》の旭《あさひ》の松《まつ》または稚児《ちご》の松《まつ》とも称せられたものとやら。首尾の松は既に跡なけれど根岸にはなお御行の松の健《すこやか》なるあり。麻布|本村町《ほんむらちょう》の曹渓寺《そうけいじ》には絶江《ぜっこう》の松《まつ》、二本榎高野山《にほんえのきこうやさん》には独鈷《どっこ》の松《まつ》と称せられるものがある。その形《かたち》古き絵に比べ見て同じようなればいずれも昔のままのものであろう。

 柳は桜と共に春来ればこきまぜて都の錦を織成《おりな》すもの故、市中《しちゅう》の樹木を愛するもの決してこれを閑却
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