よう》の頃神社仏閣の粉壁朱欄《ふんぺきしゅらん》と相対して眺むる時、最も日本らしい山水を作《な》す。ここにおいて浅草観音堂の銀杏はけだし東都の公孫樹《こうそんじゅ》中の冠《かん》たるものといわねばならぬ。明和《めいわ》のむかし、この樹下に楊枝店柳屋《ようじみせやなぎや》あり。その美女お藤《ふじ》の姿は今に鈴木春信一筆斎文調《すずきはるのぶいっぴつさいぶんちょう》らの錦絵《にしきえ》に残されてある。
銀杏に比すれば松は更によく神社仏閣と調和して、あくまで日本らしくまた支那らしい風景をつくる。江戸の武士はその邸宅に花ある木を植えず、常磐木《ときわぎ》の中にても殊に松を尊《たっと》び愛した故に、元《もと》武家の屋敷のあった処には今もなお緑の色かえぬ松の姿にそぞろ昔を思わせる処が少くない。市《いち》ヶ|谷《や》の堀端《ほりばた》に高力松《こうりきまつ》、高田老松町《たかたおいまつちょう》に鶴亀松《つるかめまつ》がある。広重《ひろしげ》の絵本『江戸土産《えどみやげ》』によって、江戸の都人士《とじんし》が遍《あまね》く名高い松として眺め賞したるものを挙ぐれば小名木川《おなぎがわ》の五本松、八景
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