ら雨になる。梅雨《つゆ》の中《うち》は申すに及ばず。土用《どよう》に入《い》ればいついかなる時|驟雨《しゅうう》沛然《はいぜん》として来《きた》らぬとも計《はか》りがたい。尤《もっと》もこの変りやすい空模様思いがけない雨なるものは昔の小説に出て来る才子佳人が割《わり》なき契《ちぎり》を結ぶよすがとなり、また今の世にも芝居のハネから急に降出す雨を幸いそのまま人目をつつむ幌《ほろ》の中《うち》、しっぽり何処《どこ》ぞで濡れの場を演ずるものまたなきにしもあるまい。閑話休題《それはさておき》日和下駄の効能といわば何ぞそれ不意の雨のみに限らんや。天気つづきの冬の日といえども山の手一面赤土を捏返《こねかえ》す霜解《しもどけ》も何のその。アスフヮルト敷きつめた銀座日本橋の大通《おおどおり》、やたらに溝《どぶ》の水を撒《ま》きちらす泥濘《ぬかるみ》とて一向驚くには及ぶまい。
 私《わたし》はかくの如く日和下駄をはき蝙蝠傘を持って歩く。
 市中《しちゅう》の散歩は子供の時から好きであった。十三、四の頃私の家《うち》は一時|小石川《こいしかわ》から麹町永田町《こうじまちながたちょう》の官舎へ引移《ひきうつ
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