ちょう》の木立《こだち》を仰ぎ、溝《どぶ》や堀割の上にかけてある名も知れぬ小橋を見る時なぞ、何となくそのさびれ果てた周囲の光景が私の感情に調和して少時《しばし》我にもあらず立去りがたいような心持をさせる。そういう無用な感慨に打たれるのが何より嬉しいからである。
同じ荒廃した光景でも名高い宮殿や城郭《じょうかく》ならば三体詩《さんたいし》なぞで人も知っているように、「太掖勾陳処処[#(ニ)]疑[#(フ)]。薄暮[#(ノ)]毀垣春雨[#(ノ)]裏。〔太掖《たいえき》か勾陳《こうちん》か処処《しょしょ》に疑《うたが》う。薄暮《はくぼ》の毀垣《きえん》 春雨《しゅんう》の裏《うち》。〕」あるいはまた、「煬帝[#(ノ)]春游古城在。壊宮芳草満[#(ツ)][#二]人家[#(ニ)][#一]。〔煬帝《ようだい》の春游《しゅんゆう》せる古城《こじょう》在《あ》り。壊宮《かいきゅう》の芳草《ほうそう》 人家《じんか》に満《み》つ。〕」などと詩にも歌にもして伝えることができよう。
しかし私の好んで日和下駄を曳摺る東京市中の廃址《はいし》は唯私一個人にのみ興趣を催させるばかりで容易にその特徴を説明すること
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