。しかしつらつら思えば伊太利亜《イタリヤ》ミラノの都はアルプの山影《さんえい》あって更に美しく、ナポリの都はヴェズウブ火山の烟《けむり》あるがために一際《ひときわ》旅するものの心に記憶されるのではないか。東京の東京らしきは富士を望み得る所にある。われらは徒《いたずら》に議員選挙に奔走する事を以てのみ国民の義務とは思わない。われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力《つと》むる事を以て第一の義務なりと考うるのである。今や東京市の風景全く破壊せられんとしつつあるの時、われらは世人のこの首都と富嶽との関係を軽視せざらん事を希《こいねご》うて止《や》まない。安永頃の俳書『名所方角集《めいしょほうがくしゅう》』に富士眺望と題して
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名月や富士見ゆるかと駿河町《するがちょう》 素竜
半分は江戸のものなり不尽《ふじ》の雪 立志《りゅうし》
富士を見て忘れんとしたり大晦日《おおみそか》 宝馬
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十余年|前《ぜん》楽天居《らくてんきょ》小波山人《さざなみさんじん》の許《もと》に集まるわれら木曜会の会員に羅臥雲《らがうん》と呼ぶ眉目《びもく》秀麗なる清客《しんきゃく》があった。日本語を善《よ》くする事邦人に異らず、蘇山人《そさんじん》と戯号《ぎごう》して俳句を吟じ小説をつづりては常にわれらを後《しりえ》に瞠若《どうじゃく》たらしめた才人である。故山《こざん》に還《かえ》る時一句を残して曰く
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行春《ゆくはる》の富士も拝まんわかれかな
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蘇山人湖南の官衙《かんが》にあること歳余《さいよ》病《やまい》を得て再び日本に来遊し幾何《いくばく》もなくして赤坂《あかさか》一《ひと》ツ木《ぎ》の寓居に歿した。わたしは富士の眺望よりしてたまたま蘇山人が留別の一句を想い惆悵《ちゅうちょう》としてその人を憶《おも》うて止《や》まない。
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君は今鶴にや乗らん富士の雪 荷風
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[#地から2字上げ]大正四年四月
底本:「荷風随筆集(上)」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年9月16日第1刷発行
2006(平成18)年11月6日第27刷発行
底本の親本:「荷風随筆 一〜五」岩波書店
1981(昭和56)年11月〜1982(昭和57)年3月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:阿部哲也
2009年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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