ぎやか》さである。鰌《どじょう》と鮒《ふな》と時には大きな鰻《うなぎ》が釣れるという事だ。私たちは水際《みずぎわ》を廻って崖の方へ通ずる小径《こみち》を攀登《よじのぼ》って行くと、大木の根方《ねがた》に爺《じじい》が一人腰をかけて釣道具に駄菓子やパンなどを売っている。機を見るに敏なるこの親爺《おやじ》の商法にさすがのわれわれも聊《いささ》か敬服して、その前に立止ったついで、猫塚の所在《ありか》を尋ねると、爺さんは既に案内者然たる調子で、崖の彼方《かなた》なる森蔭の小径を教え、なお猫塚といっても今は僅にかけた石の台を残すばかりだという事まで委《くわ》しく話してくれた。
名所古蹟は何処《いずく》に限らず行って見れば大抵こんなものかと思うようなつまらぬものである。唯《ただ》その処まで尋ね到る間の道筋や周囲の光景及びそれに附随する感情等によって他日話の種となすに足るべき興味が繋《つな》がれるのである。有馬の猫塚は釣道具を売っている爺さんが話したよりも、来て見れば更につまらない石のかけらに過ぎなかった。果してそれが猫塚の台石《だいいし》であったか否かも甚だ不明な位であった。私たちは旧造兵廠の建物の一部をば眼下に低く見下《みおろ》す崖地《がけち》の一角に、昼なお暗く天を蔽うた老樹の根方《ねがた》と、また深く雑草に埋《うず》められた崖の中腹に一ツ二ツ落ち転《ころ》げている石を見つけたばかりである。しかしここに来《きた》るまでの崖の小径と周囲の光景とは遺憾なく私ら二人を喜ばしめた。私は実際今日の東京市中にかくも幽邃《ゆうすい》なる森林が残されていようとは夢にも思い及ばなかった。柳|椎《しい》樫《かし》杉椿なぞの大木に交《まじ》って扇骨木《かなめ》八《や》ツ手《で》なぞの庭木さえ多年手入をせぬ処から今は全く野生の林同様|七重八重《ななえやえ》にその枝と幹とを入れちがえている。時節は丁度初夏の五月の事とて、これらの樹木はいずれもその枝の撓《たわ》むほど、重々しく青葉に蔽われている上に、気味の悪い名の知れぬ寄生木《やどりぎ》が大樹の瘤《こぶ》や幹の股から髪の毛のような長い葉を垂らしていた。遠い電車の響やまた近く崖下で釣する人の立騒ぐ声にも恐れず勢よく囀《さえず》る小鳥の声が鋭く梢《こずえ》から梢に反響する。私たち二人は雑草の露に袴《はかま》の裾《すそ》を潤《うるお》しながら、この森蔭の
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