じん》というがある。倶《とも》に夕日の美しきを見るがために人の知る所となった。これ元より江戸時代の事にして、今日わざわざかかる辺鄙《へんぴ》の岡に杖を留《とど》めて夕陽《ゆうひ》を見るが如き愚をなすものはあるまい。しかし私は日頃|頻《しきり》に東京の風景をさぐり歩くに当って、この都会の美観と夕陽《せきよう》との関係甚だ浅からざる事を知った。
立派な二重橋の眺望も城壁の上なる松の木立《こだち》を越えて、西の空一帯に夕日の燃立《もえた》つ時最も偉大なる壮観を呈する。暗緑色の松と、晩霞《ばんか》の濃い紫と、この夕日の空の紅色《こうしょく》とは独り東京のみならず日本の風土特有の色彩である。
夕焼《ゆうやけ》の空は堀割に臨む白い土蔵《どぞう》の壁に反射し、あるいは夕風を孕《はら》んで進む荷船《にぶね》の帆を染めて、ここにもまた意外なる美観をつくる。けれども夕日と東京の美的関係を論ぜんには、四谷《よつや》麹町《こうじまち》青山《あおやま》白金《しろかね》の大通《おおどおり》の如く、西向きになっている一本筋の長い街路について見るのが一番便宜である。神田川《かんだがわ》や八丁堀《はっちょうぼり》なぞいう川筋、また隅田川《すみだがわ》沿岸の如きは夕陽《せきよう》の美を俟《ま》たざるも、それぞれ他の趣味によって、それ相応の特徴を附する事が出来る。これに反して麹町から四谷を過ぎて新宿に及ぶ大通、芝白金から目黒行人坂《めぐろぎょうにんざか》に至る街路の如きは、以前からいやに駄々広《だだっぴろ》いばかりで、何一ツ人の目を惹《ひ》くに足るべきものもなく全く場末《ばすえ》の汚い往来に過ぎない。雪にも月にも何の風情《ふぜい》を増しはせぬ。風が吹けば砂烟《すなけむり》に行手は見えず、雨が降れば泥濘《でいねい》人の踵《きびす》を没せんばかりとなる。かかる無味殺風景の山の手の大通をば幾分たりとも美しいとか何とか思わせるのは、全く夕陽《ゆうひ》の関係あるがためのみである。
これらの大通は四谷青山白金|巣鴨《すがも》なぞと処は変れど、街の様子は何となく似通《にかよ》っている。昔四谷通は新宿より甲州《こうしゅう》街道また青梅《おうめ》街道となり、青山は大山《おおやま》街道、巣鴨は板橋を経て中仙道《なかせんどう》につづく事江戸絵図を見るまでもなく人の知る所である。それがためか、電車開通して街路の面目一新し
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