閑地にも緑柔き毛氈《もうせん》を延《の》べ、月の光あってその上に露の珠《たま》の刺繍《ぬいとり》をする。われら薄倖《はくこう》の詩人は田園においてよりも黄塵《こうじん》の都市において更に深く「自然」の恵みに感謝せねばならぬ。
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     第九 崖

 数ある江戸名所案内記中その最も古い方に属する『紫《むらさき》の一本《ひともと》』や『江戸惣鹿子大全《えどそうがのこたいぜん》』なぞを見ると、坂、山、窪《くぼ》、堀、池、橋なぞいう分類の下《もと》に江戸の地理古蹟名所の説明をしている。しかしその分類は例えば谷という処に日比谷《ひびや》、谷中《やなか》、渋谷《しぶや》、雑司《ぞうし》ヶ|谷《や》なぞを編入したように、地理よりも実は地名の文字《もんじ》から来る遊戯的興味に基《もとづ》いた処が尠《すくな》くない。かくの如きはけだし江戸軽文学のいかなるものにも必ず発見せられるその特徴である。
 私は既に期せずして東京の水と路地《ろじ》と、つづいて閑地《あきち》に対する興味をばやや分類的に記述したので、ここにもう一つ崖なる文章を付加えて見よう。
 崖は閑地や路地と同じようにわが日和下駄《ひよりげた》の散歩に尠からぬ興味を添えしめるものである。何故《なぜ》というに崖には野笹や芒《すすき》に交《まじ》って薊《あざみ》、藪枯《やぶから》しを始めありとあらゆる雑草の繁茂した間から場所によると清水が湧いたり、下水《したみず》が谷川のように潺々《せんせん》と音して流れたりしている処がある。また落掛るように斜《ななめ》に生《は》えた樹木の幹と枝と殊に根の形なぞに絵画的興趣を覚えさせることが多いからである。もし樹木も雑草も何も生えていないとすれば、東京市中の崖は切立った赤土の夕日を浴びる時なぞ宛然《えんぜん》堡塁《ほうるい》を望むが如き悲壮の観を示す。
 昔から市内の崖には別にこれという名前のついた処は一つもなかったようである。『紫の一本』その他の書にも、窪、谷なぞいう分類はあるが崖という一章は設けられていない。しかし高低の甚しい東京の地勢から考えて、崖は昔も今も変りなく市中の諸処に聳《そび》えていたに相違ない。
 上野から道灌山《どうかんやま》飛鳥山《あすかやま》へかけての高地の側面は崖の中《うち》で最も偉大なものであろう。神田川を限るお茶の水の絶壁は元より小赤壁《しょうせきへき
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