A凡そ幾十枚と知れず淋しげに立連《たちつらな》った有様を今もってありありと眼に浮べる。何という不思議な縁であろう、本堂はその日の夜、私が追憶の散歩から帰ってつかれて眠った夢の中《うち》に、すっかり灰になってしまったのだ。
芝の増上寺の焼けたのもやはりその頃の事だと私は記憶している。
半年《はんとし》ほど過ぎてから、あるいは一年ほど過ぎていたかも知れぬ。私はその頃日記をつけていなかったので確な事は覚えていない。或日再び小石川を散歩した。雨気《あまけ》を含んで重苦しい夕風が焼跡の石の間に生えた雑草の葉を吹きひるがえしているのを見た。
何しろあれだけ大きな建物がなくなってしまった事とて境内は荒野《あれの》のように広々として重苦しい夕風は真実無常を誘う風の如く処《ところ》を得顔《えがお》に勢づいて吹き廻っているように思われた。今までは本堂に遮《さえぎ》られて見えなかった裏手の墳墓が黒焦げになったまま立っている杉の枯木の間から一目に見通される。家康公《いえやすこう》の母君の墓もあれば、何とやらいう名高い上人《しょうにん》の墓もある……と小さい時私は年寄から幾度となく語り聞かされた……それら
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