「しかわ》の丘陵をば一年一年に恋いしく思返す。
十二、三の頃まで私は自分の生れ落ちたこの丘陵を去らなかった。その頃の私には知る由《よし》もない何かの事情で、父は小石川の邸宅を売払って飯田町《いいだまち》に家を借り、それから丁度|日清《にっしん》戦争の始まる頃には更に一番町《いちばんちょう》へ引移った。今の大久保《おおくぼ》に地面を買われたのはずっと後《のち》の事である。
私は飯田町や一番町やまたは新しい大久保の家《いえ》から、何かの用事で小石川の高台を通り過る折にはまだ二十歳《はたち》にもならぬ学生の裏若《うらわか》い心の底にも、何《なに》とはなく、いわば興亡常なき支那の歴代史を通読した時のような淋しく物哀れに夢見る如き心持を覚えるのであった。殊に自分が呱々《ここ》の声を上げた旧宅の門前を過ぎ、その細密《こまか》い枝振りの一条《ひとすじ》一条にまでちゃん[#「ちゃん」に傍点]と見覚えのある植込《うえごみ》の梢《こずえ》を越して屋敷の屋根を窺い見る時、私は父の名札《なふだ》の後に見知らぬ人の名が掲げられたばかりに、もう一足も門の中に進入《すすみい》る事ができなくなったのかと思うと、な
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