いて其場に佇立《たゝず》んだ。やがて言訳らしく女が何か言出さうとするのを、友田は聞えぬ振で、映画館の入場券を売る傍の窓口へ歩み寄り、手早く切符を買ひ取り、「民子さん。鳥渡見て行きませう。どんな写真だか分りませんが、これ、あなたの切符。」
「まアどうも、すみません。」とこの場合厭とも言へず、女は切符を受取り男と並んで内へ這入ると、天気の好い日曜日の事で、場内は大入満員の好景気。出入の戸口から場内左右の壁際まで、席のあくのを待つ看客が押合ふやうに立込んでゐるため、正面舞台の映画は人の頭に遮られて能くは見えない。
「どうです。見えますか。もつと此方へお寄んなさい。」と友田は女の手を取らぬばかり寄り添つて人中へ割込むと、絶えず後方《うしろ》から押して来る人波に押出されて、男よりも先に女の方から男の洋服の袖口につかまる始末。二人は互に寄りかゝるやうに身を寄せ合ひ、知らず知らず呼吸《いき》の触れ合ふ程顔を近づけてしまつたが、する中映画が変つたと見えて、場内が明くなり、彼方此方《あちこち》の椅子から立つ人が出来たので、二人は思ひがけなく近いところに空いた席を見つけてその後《あと》に腰をおろした。物売
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