台の上に置き、「お茶只今。」と言ひながら下りて行つた。
「民子さん。僕今日は気が狂《ちが》つてるかも知れません。許して下さい。どうぞ許して下さい。」とまたしても抱き寄せやうとする始末。女も遂に覚悟をしたものか、そのまゝ寄り添つたなり静に割箸を取つて男に渡した。
小娘が茶を入れた小形の湯呑を二ツ持つて来る。
「静だけど下にはお客様があるのかね。」
「いゝえ。内のお客様は晩《おそ》う御在ますから、まだどなたもお見えになりません。」
「さうかね。」
「どうぞ御ゆるりなさつて。御用が御在ましたら、どうぞお手を。」
「ぢやもう暫く御邪魔するよ。」
「はい。どうぞ。」と小娘は何事も心得て居るらしく、わざとお客の顔を見ぬやうにして下りて行つた。
友田が手を鳴して再び小娘を呼び上げ、席料と食べ物の代価を払つたのは、かれこれ一時間近くも過ぎてからであつた。
この日を手始めに、友田は日曜日毎に民子をつれて来るやうになつたが、四五回目で丁度其の月も変る頃からぱつたり姿を見せぬやうになつた。
友田は突然会社の横浜支店に転任を命ぜられ、本郷の貸間を引揚げて其町へ移転した。
浅草で逢ひつゞけてゐる中か
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