まなかった。それと同じ理由から、わたくしは日本語に翻訳せられた西洋の戯曲と、殊に歌謡の演出に対して感興を催すことの甚困難であることを悲しむものである。
 帝国劇場のオペラは斯くの如くして震災後に到っては年々定期の演奏をなすようになった。最初の興行より本年に到って早く既に九年を過ぎている。此の間に露西亜バレエの一座も亦来って其技を演じた。九年の星霜は決して短きものではない。西欧のオペラ及バレエが日本の演芸界に相応の感化を与えるには既に十分なる時間である。況や帝国劇場は西洋オペラを招聘する以前に在って、曾て一たび歌劇部を設けて部員を教練したことさえあるに於てをや。思うに日本の演芸界は既に種々なる新運動を試みているに相違ない。唯之を知る機会なきわたくしが一人之を知らざるに止まっているのであろう。
 今年帝国劇場は三月に伊太利亜オペラを興行し、四月に入って露西亜オペラの一座を呼び迎えた。いずれもわたくしの往きて聴くことを娯しみとなした所なので、思いついたまま其の事をここにしるした。
[#地から1字上げ]昭和二年五月



底本:「日和下駄 一名 東京散策記」講談社文芸文庫、講談社
   199
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