とを問はず、江戸的デカダンス思想の最後の究極点を示してゐる事を面白く思ふのである。
江戸文明の爛熟は久しく傾城《けいせい》遊君《けいせい》の如き病的婦人美を賞讃し尽した結果、其不健全なる芸術の趣味の赴く処は是非にも毒婦と称するが如き特種なる暗黒の人物を造出《つくりだ》さねば止《や》まなかつた。自分は当時の世間《よのなか》に事実全身に刺青《ほりもの》をなし万引《まんびき》をして歩いたやうな毒婦が幾人《いくたり》あつたにしても、其れをば矢張《やはり》一種の芸術的現象と見倣《みな》してしまふ。何故《なぜ》なれば此《この》当時の世の中には芝居が人心を支配した勢力と、芝居が実社会から捉へて来たモデルとの密接な関係が、殆ど或場合には引放す事の出来ない程混同錯乱してゐるからである。黙阿弥の劇中に見られるやうな毒婦は近松にも西鶴にも春水《しゆんすゐ》にも見出《みいだ》されない。馬琴《ばきん》に至つて初めて「船虫《ふなむし》」を発見し得るが、講談としては已に鬼神《きじん》お松《まつ》其他《そのた》に多くの類例を挙げ得るであらう。黙阿弥は其の以前と其の時代とに云伝へられた毒婦を一括して此れに特種の典型を付し、菊五郎と源之助との技芸化を経て、遂に一時代の特色を作らしめた天才である。毒婦は如何なる彼の著作にも世話物と云へば必ず現はれて来る重要なる人物である。観客はこの人物の悪徳的活動範囲の広ければ広いだけ、所謂《いはゆる》芝居らしい快感と興味とを感ずる。そして勧善懲悪の名の下《もと》に一篇の結末に至つて此等の人物が惨殺|若《も》しくは所刑せられるのに対して、英雄的悲壮美を経験するのである。
毒婦の第一の資格は美人でなければならぬ。其れも軽妙で、清洒《せいしや》で、すね気味な強みを持つてゐる美人でなければならぬ。其れ故、毒婦が遺憾なく其の本領を発揮する場合には観客は道義的批判を離れて、全く芸術的快感に酔《ゑ》ひ、毒婦の迫害に遭遇する良民の暗愚遅鈍を嘲笑する。「木間星箱根鹿笛《このまのほしはこねのしかぶえ》」と云ふ脚本中の毒婦は色仕掛《いろじかけ》で欺した若旦那への愛想尽《あいそづか》しに「亭主があると明《あ》けすけに、言つてしまへば身も蓋《ふた》も、ないて頼んだ無心まで、ばれに成るのは知れた事、云はぬが花と実入《みい》りのよい大尽客《だいじんきやく》を引掛《ひつかけ》に、旅に出るのもありやうは、亭主の為めと夕暮の、涼風《すずかぜ》慕ふ夏場をかけ、湯治場《たうぢば》近き小田原《をだはら》で、宿場稼《しゆくばかせ》ぎの旅芸者、知らぬ土地故《ゆゑ》応頼《おうらい》の、転ぶ噂もきのふと過ぎ、今日《けふ》迄すましてゐられたが、東京にゐた其の頃は、毎度いろはの新聞で、仮名垣《かながき》さんに叩かれても、のんこのしやアで押通し、山猫《やまねこ》おきつと名を取つた、尻尾《しつぽ》の裂けた気まぐれ者さ。」なぞ云つてゐるのは既に好劇家の暗記してゐる処であらう。
自分は黙阿弥劇の毒婦と又|白浪物《しらなみもの》の舞台面から「悪」の芸術美を感受する場合、いつもボオドレエルの詩集 F'leurs du Mal を比較せねばならぬと思ふ。無論両者の間には東西文明の相違せる色調に従つて、思想上の価値に高下の差別はあらうけれど、両者ともにデカダンス芸術の極致を示してゐる事だけは同じである。
審美学者ギヨオは有名なる其の著述「社会学上より見たる芸術」の巻末に於て犯罪者の心理に関するロンブロゾ博士《はくし》の所論を引用して、悪人は一種恐しい虚栄心を持つてゐるもので、単に世間を恐怖させるため、或は世間一般をして己の名を歌はしむる為に人を殺す事がある。悪人の虚栄心は文学者や婦人のそれよりも更に甚《はなはだ》しい事を記載し、「殺人者の酔《ゑひ》」と題するボオドレエルの
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乃公《おれ》の女房《にようぼ》はもう死んだ。
乃公《おれ》は気随気儘の身になつた。
一文なしで帰つて来ても、
ガア/\喚《わめ》く嚊《かか》アがくたばつて、
乃公《おれ》は気楽にたらふく呑める。
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と云ふ詩なぞを掲《かか》げてゐるが、此れ等は何処となく、黙阿弥劇中に散見する台詞《せりふ》「今宵《こよひ》の事を知つたのは、お月様と乃公《おれ》ばかり。」また、「人間わづか五十年、一人殺すも千人殺すも、とられる首はたつた一ツ、とても悪事を仕出《しだ》したからは、これから夜盗、家尻切《やじりき》り……。」の如きを思ひ出させるではないか。
ボオドレエルを始め西洋のデカダンスには必ず神秘的宗教的色彩が強く、また死に対する恐しい幻覚が現はれてゐるが、此れ等は初めから諦めのいゝ人種だけに、江戸思想中には皆無《かいむ》である。其の代《かはり》に残忍|極《きはま》る殺戮《さつりく》の描写は、他人種の芸術に類例を見ざる特徴であつて、所謂《いはゆる》「殺しの場」として黙阿弥劇中興味の大部分を占めてゐる事は、今更らしく論じ出すにも及ぶまい。
毒婦と盗人《ぬすびと》と人殺しと道行《みちゆき》とを仕組んだ黙阿弥劇は、丁度|羅馬《ロオマ》末代《まつだい》の貴族が猛獣と人間の格闘を見て喜んだやうに、尋常平凡の事件には興味を感ずる事の出来なくなつた鎖国の文明人が、仕度三昧《したいざんまい》の贅沢の揚句に案出した極端な凡ての娯楽的芸術を最も能く総括的に代表したものである。即ちあらゆる江戸文明の究極点は、此の劇的綜合芸術中に集注されてゐるのである。講談に於ける「怪談」の戦慄、人情本から味《あぢは》はれべき「濡《ぬ》れ場《ば》」の肉感的衝動の如き、悉《ことごと》く此れを黙阿弥劇の中《うち》に求むる事が出来る。三味線音楽が亦《また》この劇中に於て、如何に複雑に且つ効果鋭く応用されてゐるかは、已に自分が其の折々の劇評に論じた処である。「殺しの場」のやうな血腥《ちなまぐさ》き場面が、屡《しばしば》その伴奏音楽として用ひられる独吟と、如何に不思議なる詩的調和を示せるかを聞け。
以上は黙阿弥劇に現はれたロマンチックの半面であるが、其の写実的半面は狂言の本筋に関係のない仕出しの台詞《せりふ》や、其の折々の流行の洒落《しやれ》、又は狂言全体の時代と類型的人物の境遇等に於て窺ひ知られるのである。維新後零落した旗本の家庭、親の為めに身を売る娘、新しい法律を楯にして悪事を働く代言人、暴悪な高利貸、傲慢な官吏、淫鄙な権妻《ごんさい》、狡獪《かうくわい》な髪結《かみゆひ》等いづれも生々《いきいき》とした新しい興味を以て写し出されてゐる。黙阿弥の著作は幕末から維新以後に於ける東京下層社会の生活を研究するに最も適当な資料であらう。本所《ほんじよ》深川《ふかがは》浅草辺《あさくさへん》の路地裏には今もつて三四十年|前《まへ》黙阿弥劇に見るまゝの陰惨不潔無智なる生活が残存《ざんぞん》して居る。
虫干の縁先には尚《なほ》いろ/\の面白いものがあつた。大川筋《おおかはすぢ》の料理屋の変遷を知るに足るべき「開化三十六会席《かいくわさんじふろくくわいせき》」と題した芳幾《よしいく》の綿絵には、当時名を知られた芸者の姿を中心にして河筋の景色が描《ゑが》かれてある。自分は春信《はるのぶ》や歌麿《うたまろ》や春章《しゆんしやう》や其れより下《くだ》つて国貞《くにさだ》芳年《よしとし》の絵などを見るにつけ、それ等と今日の清方《きよかた》や夢二《ゆめじ》などの絵を比較するに、時代の推移は人間の生活と思想とを変化させるのみならず、生理的に人間の容貌と体格をも変化させて行くらしい。吾々は今日の新橋《しんばし》に「堀《ほり》の小万《こまん》」や「柳橋《やなぎばし》の小悦《こえつ》」のやうな姿を見る事が出来ないとすれば、其れと同じやうに、二代目の左団次《さだんじ》と六代目の菊五郎《きくごらう》に向つて、鋳掛松《いかけまつ》や髪結新三《かみゆひしんざ》の原型的な風采を求めるわけには行かない。古池に飛び込む蛙《かはづ》は昔のまゝの蛙であらう。中に玉章《たまづさ》忍ばせた萩《はぎ》と桔梗《ききやう》は幾代《いくだい》たつても同じ形同じ色の萩桔梗であらう。然し人間と呼ばれる種族間に於ては、親から子に譲らるべき其儘《そのまま》の同じものとては一ツもない。
自分は時代の空気の人体に及ぼす生理的作用の如何を論じたい……。然し夏の日足は已に傾きかゝつて来た。涼しい風が頻《しきり》と植込の木《こ》の葉《は》をゆすつてゐる。縁先の鳳仙花は炎天に萎《しを》れた其《その》葉をば早くも真直に立て直した。古い小袖を元のやうに古い葛籠《つづら》にしまひ終つた家人は片隅から一冊|宛《づつ》古い書物を倉の中《なか》へと運んでゐる。自分は又来年の虫干を待たう。来年の虫干には自分の趣味はいかなる書物をあさらせる事であらう。
底本:「日本の名随筆36 読」作品社
1985(昭和60)年10月25日第1刷発行
1996(平成8)年4月20日第15刷発行
底本の親本:「荷風全集 第一三巻」岩波書店
1963(昭和38)年3月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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